八幡社(呼続町)

桜田貝塚と桜田勝景を今に伝える神社

桜田八幡社鳥居と拝殿

読み方 はちまん-しゃ(よびつぎ-ちょう)
所在地 名古屋市南区呼続町八幡西14 地図
創建年 不明
社格等  村社・十等級
祭神

應神天皇(おうじんてんのう)

比売大神(ひめおおかみ)
大帯姫命(おおたらしひめのみこと)

アクセス

・地下鉄桜通線「鶴里駅」から徒歩約11分
・名鉄名古屋本線「桜駅」から徒歩約19分
・駐車場 あり

webサイト  
オススメ度

 桜田貝塚や桜田勝景絡みで紹介されることが多く、この神社について語られることは少ない。
『愛知縣神社名鑑』では創建を不明としている。
 境内にある由緒書きには「建立文化十癸酉十二月」とある。
 癸酉(みずのととり)は十干(じっかん)の癸(みずのと/き)と干支(えと)の酉(とり/ゆう)を組み合わせたもので年を表す。文化十は文化10年ということで1813年のことだ。
 しかし、建立が神社の創建のことを言っているとは限らない。社殿を建てたのがその年ということかもしれないし、修造した年かもしれない。
『愛知縣神社名鑑』に「飛地境内社 大楠社境内地(南区楠町17番地) 迦具土社(元桜田町2丁目26番地)」とある。
 大楠社は楠の巨木がある村上社(地図)のことで、そこにはかつて八幡社があって移したという話がある。その八幡社がこの呼続の八幡社のことなのか、別の八幡社なのかは分からない。
 それにしても、江戸期もだいぶ進んで1800年代に入って八幡社を建てるだろうかという疑問を持つ。その時期に應神天皇を祀る八幡社をこの場所に創建する必然がよく分からない。創建年は江戸期以前にさかのぼるような気がする。
 というのも、祭神の顔ぶれが應神天皇、比売大神、大帯姫命(神功皇后)だからだ。
 これは宇佐神宮石清水八幡宮鶴岡八幡宮といった古い八幡社の基本形で、名古屋の八幡社でこの三柱を祀っているところはあまりない。私の知る限り、これまで出会ったことがない。應神天皇の一柱か、違う祭神を合祀していたりして伝統的な形が崩れている。
 創建時期がいつなのかはっきりしたことは言えないけど、宇佐神宮あたりから勧請して、途中で他の神社を合祀しないまま現在に至ったということだろうか。
 境内は、そこそこ奥行きはあって木々に囲まれてはいるものの、古くからこの場所に鎮まっているという感じがしない。高台のちょっとした広場といった雰囲気で、社殿がなんとなく取って付けたような印象を受ける。
 やはり、もともとこの場所に創建されたものではないのではないかというのが私の感覚だった。

 神社があるのは笠寺台地の中央部、東の縁に近いところだ。
 ここは古代、あゆち潟と呼ばれる遠浅の海に囲まれた地で、松巨島(まつこしま)と呼ばれていた。
 あゆち潟は満潮時と干潮時の海面差が2メートルほどあったと考えられており、満潮時は舟で移動し、干潮時は陸路を移動していたようだ。
 笠寺台地は、満潮になると北に位置する瑞穂台地と海で隔てられて大きな島のように見えたのだろう。松巨島というのは、松が生い茂る大きな島といったイメージだ。
 台地上で、いくつもの弥生遺跡や古墳が見つかっている。
 境内で貝塚が見つかったのは大正7年(1918年)のことだった。
 桜田貝塚と名付けられた遺跡からは、弥生時代後期と見られる土器や貝殻などがたくさん出土している。ハマグリ、アサリ、カキなどを食べていたことが分かる。
 魚のような格好をした珍しい魚形土器も発見された。
 神社から少し南へいったところにある見晴台遺跡(地図)は、旧石器時代から古墳時代にかけて集落があったところだ。笠寺台地最大の集落だったと考えられており、竪穴住居も200以上見つかった。
 その他、神社北西の桜台高校グラウンドでは古墳時代の住居群や奈良時代の土馬などが出土している。

 このあたりの桜という地名の由来は諸説あるものの、桜の木の桜ではないことは確かなようで、狭い土地や谷間を指す「さ(狭い)くら(谷)」から来ているというのが有力な説となっている。
 表記としては作良ともされた。
 かつての桜村は、八幡社の北一帯、元桜田町、桜本町、桜台町あたりの地域と考えられている。
 台地の西から北は干潟の海が広がり、東側は入り海だった(後にここを天白川が流れることになる)。
 古くから景勝地として知られていたようで、『万葉集』(800年頃成立)には桜田の風景を歌った高市黒人(たけち の くろひと)の歌が収められている。
「桜田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡」
 現代語訳すると、
「桜田(さくらだ)へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 鶴(たづ)鳴き渡る」
 桜村の田んぼの方に鶴が鳴きながら渡っていく、どうやらあゆち潟の潮が引いたらしい、といった意味だ。
『尾張名所図会』では「櫻田の古覧」と題した絵図でその様子が描かれている。
 大正13年(1924年)に新愛知新聞(中日新聞の前身のひとつ)が選んだ名古屋十名所でも桜田勝景が入っている。長らくここは名古屋を代表するような景勝地だったらしい。
 今は海も遠くになり、高台から街を見下ろすこともできないため、かつての風景を想像することは難しい。
 境内には、桜田貝塚と高市黒人の歌碑が建てられている。
 神社はそういった歴史を現在に伝える役割も担っている。もしここが神社でなかったとしたら、とっくの昔に家か何かの建物が建てられて歴史も埋もれてしまっていただろう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

呼続の八幡社は桜田勝景と桜田貝塚の歴史を伝える役割を持っている

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