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丸山神明社


村人による村人のための神社



丸山神明社

読み方まるやま-しんめい-しゃ
所在地名古屋市千種区丸山町1丁目66 地図
創建年不明
旧社格・等級等村社・八等級
祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス地下鉄東山線「池下駅」から徒歩約10分
駐車場 あり(北側から入った境内)
その他例祭 10月16日
オススメ度

 地下鉄の「池下駅」もしくは「覚王山駅」から南に下った住宅地にある神社。このあたりは細い道が入り組んでいて、北側を走る広小路通とはかなり趣が異なっている。
 丸山町一帯は江戸時代の丸山村だったところだ。



 この神社について『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではない。『尾張志』に”神明ノ社天照大御神を祭る末社に八幡の社春日社あり社人を水野清膳と云う、丸山村にあり”と記す。古くより丸山の産土神として崇敬あつく明治5年10月村社に列格する、張州府志に神明祠丸山村に在り、又徇行記に社人水野征膳の書上帳に神明社内五反二畝十五歩前々除、外に田畠五畝二十三歩灯明田村除と記す。昭和5年5月神明社を丸山神明社と改称した」



 古くから丸山村の中心神社だったことは間違いなさそうだ。
 社伝では創建は元亀・天正年間(1570-1592年)頃としているのだけど、丸山村の歴史は古く、実際はもっとさかのぼるのではないか。
 近くにあった末森城(現・城山八幡宮/地図)の城主だった織田信秀(信長の父)も参拝に訪れたという話があり、信秀は1551年に死去しているから1570年以降の創建では話が合わない。
 一説では承久三年(1221年)以前の創建ともいう。承久三年といえば後鳥羽上皇が倒幕のための兵を挙げた承久の乱が起きた年だ。そのときにはすでにあったという記録でも残っているのだろうか。



 江戸前期の『寛文村々覚書』(1670年頃成立)の丸山村の項を見るとこうなっている。
「社 三ヶ所 社内八反五畝歩 前々除
 内 明神 山神 当村祢宜 杢太夫持分
 稲荷 当村 松林寺持分」



 この明神というのが今の丸山神明社だとすると、江戸時代前期の時点ではアマテラスを祀る神明社ではなかった可能性が高い。
 江戸時代後期の『尾張志』(1844年)には「神明ノ社 天照大御神を祭る」とあるから、この頃までにはアマテラスを祭神とする神明社だったということだ。
『寛文村々覚書』の明神と『尾張志』の神明は別の神社という可能性もあるだろうか。



『尾張徇行記』(1822年)を見ると、明神と神明が別々の項目にある。
「明神山神稲荷三社界内八反五畝前々除」
「社人水野征膳書上帳ニ、神明社内五反二畝十五歩前々除、外ニ田畠五歩廿三歩燈明田村除 山ノ神境内二畝二十歩前々除」



 現在、丸山町に山神社も稲荷社もない。丸山神明社の境内にある山神社と丸福稲荷社がそれに当たるだろうか。



 松林寺(しょうりんじ/地図)は元亀二年(1571年)に村人たちによって創建されたとされる丸山村の鎮守寺だ(『尾張志』では創建を慶長六年(1601年)としている)。
 曹洞宗の寺としては珍しく薬師如来を本尊とする(一般的には釈迦如来が多い)。
 神明社と松林寺の距離は南北に300メートルほど離れているので隣接しているとはいえない。松林寺は村の中心にあり、神明社は集落の北の端にあった。
『尾張志』には稲荷社は載っていないから、松林寺の中にあったかもしれない。



 丸山の地名について津田正生は『尾張國地名考』の中で「正字なるべし」と書いている。由来については触れていない。
 山の手の状態を指してそう呼んだとも、丸形の地形から来ているともいう。
 丸山村は西隣にあった古井村(こいむら)から分かれた開拓村だったと考えられている。
 その人々が祀ったのがこの神明社、もしくは明神なのだろう。もし創建が鎌倉時代前期というのであれば、アマテラスを祀る神明社ではなくもっと素朴な信仰から来る農耕神を祀った社だったんじゃないだろうか。



 境内社として八幡社と春日社の摂社の他、末社に津島社、秋葉社、須原社、山神社、丸福稲荷社、丸山天神社、木霊社、辨天社がある。
「天保五年村中安全」と彫られた秋葉常夜灯も残っている(天保五年は1834年)。
 秋葉権現信仰は江戸時代中期以降流行って秋葉講もたくさん作られたから、それらの人たちが寄進したものだろうか。
 毎月、1と6がつく日には参道で青空野菜市が開かれている。
 天正10年(1582年)7月の日付が入った織田信雄判物に「末盛丸山新市場」とあることから、その歴史の古さが分かる。
 名古屋グランパスのサポーターの拠点のひとつとなっており、宮司さんもそれに協力しているようだ。



 丸山神明社や松林寺に限らず、丸山村自体が村人たちが手作りした村という感じがする。
 何の予備知識も持たずに丸山神明社を初めて訪れたとき、ずいぶん庶民的な神社だなという印象を持った。
 神社にはそれぞれ雰囲気や匂いや感触といったものがあって、公的な神社と私的な神社があると感じる。
 そういう意味でいうと、丸山神明社は私的な神社だ。今でも近隣の住人たちが集まってくる感じがあって、それは失わずにずっと保っていって欲しいと思う。




作成日 2018.1.28(最終更新日 2019.2.15)


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