星神社の南、庄内緑地の北、中小田井の土手に3ヶ所ある社のうちのひとつ。どういう神を祀っているどんな神社かはまったく分からない。 今昔マップで明治中頃の地図を見ると、現在の庄内緑地の場所は、田んぼでも畑でもない空白になっている。自然のものなのか人口のものなのか、庄内川から引き込んだような水路があり、庄内緑地の部分は中州になっている。この時代、ここがどういう状況になっていのかは不明だ。 大正時代の中頃から昭和の戦中までは桑畑になっていたようだ。 戦時中の昭和15年に愛知県はここを防空緑地とすることを決定して土地を取得したものの、戦後の農地解放によって権利を失い、計画は宙に浮くことになった。その後、この場所は小田井遊水池と呼ばれるようになる。庄内川が氾濫したときに水を逃がすための場所だ。 庄内緑地の北側に堤防があるのはそのときの名残で、その北側の町は庄内川よりも土地が低いため、これは今でもなくてはならない。 ここを庄内緑地として整備する計画が立てられたのは昭和33年のことで、用地を買収しながら進められた。しかし、完成には時間を要し、庄内緑地公園として開園したのは昭和61年のことだった。
こういった流れの中で土手面にある社がいつ誰によって建てられたかということになるのだけど、予想も想像も難しくてなんとも言えない。 小さな社が二社並び、その隣には観音堂がある。古いといえば古いし、昭和といえば昭和だ。 少し離れたところに火の見櫓がある。そこから推測すると、ひとつは秋葉社かもしれない。そのセットとなると、天王社だろうか。 観音堂にある観音像はわりと新しい感じだ。手には何も持たず、片膝を立てた姿をしている。片膝を立てるのは如意輪観音に多いのだけど、手は二本なので聖観音だろうか。 星神社(上小田井)(地図)とは100メートルほどしか離れていないのだけど、関係があるかどうかは不明だ。星神社の人に訊ねれば何か教えてもらえるかもしれない。 120メートルほど西(地図)と、160メートルほど東(地図)にも同じように小さな社が二社ずつある。それらは同じ神を祀る兄弟社だろうか。
作成日 2018.3.28(最終更新日 2018.12.19)
|