熱田の伝馬の南、新堀川の左岸にある神社。 創建は昭和11年(1936年)と新しい。 地元の有志が集まり、氏神として天照大神を祀ったのが始まりという。 当初は現在地から見て道を挟んだ東に建てられたようだ。現住所でいうと内田橋2丁目5だろうか。 昭和20年(1945年)に空襲で被害を受け、昭和53年(1978年)に道路を拡張することになり、現在地に移された。 境内には遷座記念の石碑が建つ。
主祭神は天照大神で、相殿として熱田大神、伊邪那岐神、伊邪那美神を祀る。どうやらこれは最初からのようだ。 境内社に、稲荷社、秋葉社、津島社、塩竈社がある。 90メートルほど南にある豊田本町神社(地図)は昭和3年(1928年)に創建されており、熱田大神を祀っている。 南区でも熱田エリアに近いため、熱田神宮(web)の影響が大きい。
社名の豊門(ほうもん)はかつての町名である豊門町(ほうもんちょう)から来ている。 現在の町名は内田橋となっており、これは新堀川に架かる内田橋から名づけられた(昭和60年)。 江戸時代のこのあたりは干拓によって作られた陸地で、長三郎新田、紀左衛門新田、図書新田(ずしょしんでん)などがあった。 新堀川はもともと精進川という自然河川で、それを堀り広げて人工の川にした。工事は明治38年(1905年)に始まり、明治43年(1910年)に完成した。 内田橋が架けられたのは明治45年のことだ。 この橋によって知多半島と熱田、名古屋の中心地が結ばれ、名古屋の玄関口として発展し、昭和のはじめには飲食店や映画館が立ち並んで賑わっていたという。 昭和58年に国道247号線が拡張されて新内田橋が架かると、車の流れが変わって元の通りはさびれてしまった。 今昔マップで明治以降の変遷を辿ると町の移り変わりが見てとれる。
創建は昭和のはじめとはいえ、80年以上も経てばけっこう風格が出ている。江戸時代創建といわれても信じてしまいそうだ。 この先100年、200年と続いていけば、昭和も明治も江戸もそんなに違わないという感覚になるだろう。我々が戦国も室町も鎌倉もそんなに違わないと思うように。 令和生まれの世代が大人になった頃には、昭和時代は相当昔のことという感覚になるのだろう。
作成日 2018.3.11(最終更新日 2019.8.25)
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