神明社(伊勢山)

古墳の上に伊勢の神宮の巻物を祀ったのが始まり

伊勢山神明社

読み方 しんめい-しゃ(いせやま)
所在地 名古屋市中区伊勢山1丁目5-19 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 指定村社・十一等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
熱田大神(あつたおおかみ)
加具土神(かぐつちのかみ)
アクセス 地下鉄名城線「東別院駅」から徒歩約4分
駐車場 なし(境内に可か?)
その他 例祭 10月5日
オススメ度

 中区伊勢山にある神明社。伊勢山の地名は神明社から来ている。この神社の成り立ちはちょっと変わっている。
 古渡のあたりは、なだらかな丘陵地帯で、熱田台地のちょうど中央あたりになる。大塚山、二子山、茶臼山、おいせ山など、かつては七つの山があったという。
 このうちおいせ山(御伊勢山)は古墳という話がある。神社の社殿は小山の上に建っており、確かに古墳のように見える。
 熱田台地の南には断夫山古墳白鳥古墳があり、中間の金山あたりにも縄文時代の遺跡がいくつか見つかっている。その北の大須には大須二子山古墳那古野山古墳などがあった。それを考えると、古渡のあたりにも伊勢山だけでなく他にも古墳があったのではないかと思う。

 伊勢山神明社の創建は室町時代初期までさかのぼるといわれている。南北朝時代の戦乱に伊勢の神宮(web)も巻き込まれ、神宮からも多くの宝物などが持ち出された。
 そのうちのひとつの巻物が尾張に渡って来て各地で祀られた後、伊勢山の地に留まることになった。小山の上に巻物を祀り、いつしかそこが伊勢山と呼ばれるようになった。これが伊勢山神明社の始まりで、一説によると1338年のことという。
 別名を巻の森といっていたのは、この巻物から来ている。
 そのあたりについて『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「この地を俗に御伊勢山と称し、又巻の森とも呼ぶ。往古伊勢神宮より巻物伝わり途中の諸社でも奉祀したが遂にこの地に鎮まり神社を建てた。創建の年代は足利時代以前の事という。慶長年中(1596-1614)伊勢の御師山田福太夫が代々奉仕す」
『尾張志』(1844年)は「神明社 古渡村中市場屋敷山の東にありて俗に御伊勢山という創建の年月知りかたし」と書いている。
『寛文村々覚書』(1670年)には、「明神 勢州御師 山田福太夫持分」とあるから、その頃はまだ神明社とは呼ばれていなかったようだ。
『尾張徇行記』(1822年)によると、御伊勢山は古渡七名所雪見の絶景地として古人に親しまれたとある。
 江戸時代のここは名古屋城下の外れで人家も少なかったのだろう。鬱蒼とした森林地帯だったんじゃないだろうか。
 神社の由緒ではもう少し穏やかな説明になっている。祀られた巻物は慶長年間(1596年-1615年)に、伊勢の御師(おんし)が巡拝で訪れて納めたのだとしている。
 略奪されてきた巻物を祀ったのが神社の始まりとするのは体裁が悪いということだろうか。
 いずれにしても創建は室町時代の始まり前後という可能性が高そうだ。

 伊勢の神宮が現在のように社殿が整ったのは天武・持統天皇の時代と考えられている。
 第一回の式年遷宮が行われたのが内宮の690年と外宮の692年だった。当初、式年遷宮は内宮と外宮は2年違いで行われていた。同じ年に行われるようになったのは中断時期を挟んだ後の1585年以降のことだ。
 応仁の乱(1467-1477年)によって世の中は乱れ、伊勢の神宮も多くの神領を奪われ経済的に困窮することになる。そのため、1462年の内宮の式年遷宮から約100年間、式年遷宮を行うことができなかった。
 危機感を抱いた神宮は広く一般にも門戸を開いてお金を集めることにした。それまで伊勢の神宮は天皇専門の神社ということで庶民はもちろん、皇族さえ自由に参拝することはできなかった。
 そこで登場したのが御師(おんし)という人たちだった。今でいう観光案内人のようなもので、全国各地を歩いて伊勢の神宮の宣伝をして、人々を神宮に案内してお金を集めた。
 1563年にようやく中断していた外宮の式年遷宮がなった。
 次の1585年に行われた内宮・外宮の式年遷宮資金を出したのは秀吉だった。信長が資金を出す約束をしたものの本能寺の変(1582年)に倒れてしまったため、後を受けて秀吉がお金を出した。続く家康も1609年の資金を持ち、江戸時代は幕府がずっと出していた。
 江戸時代の庶民のお伊勢参りブームはよく知られている。お蔭参り(おかげまいり)と呼ばれた大ブームが60年周期で三度あった。
 この伊勢山の神明社は、伊勢まで行けない人たちのための遙拝所の役割も果たしたという。

『愛知縣神社名鑑』にはこんなことが書かれている。
「祭礼は東海第一、屋形二十数本彫刻華麗言葉につくすあたわずと、藩公の参詣を始め遠近より人々にて境内溢れるばかりなりという」
 今はもうそんな話は聞かないところをみると派手な祭礼は行われていないのだろう。
「昭和20年3月11日の空襲により本殿の他は悉く焼失した」ともあるから、山車なども失われてしまったようだ。

 ところで御神体ともいうべき巻物は今でも現存しているのだろうか。空襲で焼けてしまったのか、今でも地中に埋まっていたりするのか。何が書かれた巻物だったのだろう。
 貴重な宝や建物が失われてしまう要因は天災、人災いろいろあるけど、戦争による焼失くらい残念なことはない。これ以上、そんなことで大切なものが失われることがないよう願っている。

 

作成日 2018.1.6(最終更新日 2019.9.16)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

伊勢山神明社はお伊勢さんの巻物を祀る名古屋出張所

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