中島八幡社

由緒をそのまま信じていいとは限らない

中島八幡社

読み方 なかじま-はちまん-しゃ
所在地 中村区則武1-32 地図
創建年 不明
社格等  村社・十二等級
祭神

品陀和気命(ほむだわけのみこと/応神天皇)

アクセス

・地下鉄桜通線「中村区役所駅」から徒歩約9分
・地下鉄東山線「本陣駅」から徒歩約20分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 松原八幡社の東南370メートルに位置する中島八幡社。
 中島八幡社の東南280メートルのところには水野社がある。
 松原八幡社の北西150メートルには大秋八幡社もある。
 中村区は面積のわりに神社が多く、必然的に神社と神社との距離が近い。その分、どの神社がどこに位置しているのかを把握するのが難しい。
 かつての村名でいうと、中島は中野と高畑に挟まれていて、大秋も含めて古くは一帯がひとつの郷だったという。
 村ごとに神社があって、それらが全部残っているような地区は、都市化の進んだ名古屋においてはあまりないんじゃないだろうか。

 境内の由緒書きによると、往昔は那古野原の北部にあり、名古屋城築城の際にお城の敷地内に当たったため、現在地の中島に移されてきた、とある。
 中島八幡社よ、おまえもか、といった感じではあるのだけど、ちょっと待てと思う。
 説明文はこう続く。
「延喜式以前のいとも貴き○○○なり」
 ○の部分は何と書いてあるのか字が読めない。
 延喜式以前とはどういうことか? 貴き何なのか?
 この神社が式内論社といった話は聞かない。『延喜式』(成立927年)以前とはどういう根拠で言っているのか。
「那古野原」というのも、どこを指しているのかよく分からない。
 那古野というのは平安末に那古野荘が成立して以降の地名とされているのだけど、那古野原という言い方は聞いたことがない。
「名古屋城築城の際、その敷地に罹り」というのであれば範囲は限られる。ただ、それがどこなのかはなんとも分からない。

 栄生町にある八幡社も名古屋城築城の際に移されたとされる神社だ。
 あちらの場合は、今市場にあったものを、普請奉行を務めた佐久間政実(さくままさざね)が移したと、話が具体的だ。
 中島八幡社に関しては境内の由緒書き以外にそういう情報はない。
『愛知縣神社名鑑』にもそういうたぐいの話は一切書かれていない。
「創建は明かではない。寛政三年(1791年)氷室紀長の『若宮旧記』によれば中区末広町の若宮八幡社の境外末社として、この地に鎮座のところ、中島の人々は産土神と崇敬あつく、(後略)」
 こうあるだけだ。
 名古屋城築城に際して遷座したという話は神社の由緒として伝わっているのだろうけど、そのまま信じていいのかどうか。

 氷室紀長についても、『若宮旧記』についても、ネット検索では情報が出てこない。名古屋市図書館にも愛知県図書館にも置いてないから、一般に出回っているものではなさそうだ。若宮八幡社が所蔵しているだけなのだろう。
 若宮八幡社の境外末社になったというのは、松原八幡社も同じだ。江戸時代中期から後期にかけて、このあたりの八幡社は若宮八幡社の管理下に置かれていたらしい。
 若宮八幡社も、名古屋城築城のときに移された神社だ。もしかすると、そのときからすでに中島八幡社と関係があったということだろうか。
 ただ、本社と関係性の深い「摂社」ではなく「末社」とあるから、直接関係のある神社ではなかったということになる。
 そのあたりの経緯については、これ以上の情報がないので不明とするしかない。

 いろいろ釈然としない気持ちが残った。何か分かったら追記したい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中島八幡社の3分の1は龍神社

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