西古渡神社

スサノオ・カグツチ社らしさは感じられない

西古渡神社

読み方 にしふるわたり-じんじゃ
所在地 名古屋市中川区尾頭橋4-2-3 地図
創建年 1641年(江戸時代前期)
社格等 村社・九等級
祭神

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと )
加具土神(かぐつちのかみ)

 アクセス

・JR東海道本線「尾頭橋駅」から徒歩約1分
・駐車場 あり(境内)

webサイト  
オススメ度

 JR東海道本線の尾頭橋駅を出てすぐ目の前にこの神社はある。
 尾頭橋にあるのに名前が西古渡神社となっていて、ちょっとややこしい。古渡というと、堀川を挟んで東北の町で、確かに古渡の西ではあるけど西古渡という地名は現在残っていない。
 普通に尾頭橋神社でいいじゃないかと思ったら、すでに同名の神社が南西600メートルのところにあった(地図)。
 この神社が西古渡神社と改称したのは昭和12年(1937年)のことという。村社に昇格したのもそのときだ。

 創建は江戸時代前期の寛永十八年(1641年)と伝わっている。
 詳しいことは分からないのだけど、尾頭橋付近(地図)の田畑があるところに土地の人間が祀ったのが始まりのようだ。
 時代からみて、それはスサノオ(素戔嗚尊)ではなく牛頭天王だったと思われる。
 その近くに秋葉権現も祀っていたようだ。
 明治6年(1873年)にいったん廃止となったらしい。神仏分離令を受けてのことだったかもしれない。
 しかし、明治12年(1879年)に再興。このときスサノオを祀る須佐之男社または津島社と、カグツチを祀る秋葉社になったのだと思う。
 大正13年(1924年)に二社が合併して現在地の西古渡丁ノ坪に移された。
 古渡の地名は、かつて入り江で渡り船があったのが埋め立てられて渡り船が廃止になったことから古い渡し場、古渡と呼ばれるようになったとされる。
 明治9年(1876年)に古渡村が東西に分割され、明治22年(1889年)に八幡村大字西古渡となり、大正10年(1923年)に南区古渡町になった。
 西古渡神社と改称した昭和12年(1937年)は、中川区が誕生した年だ。そのまま中川区に編入された。
 昭和17年(1942年)に八幡町に編入。昭和50年(1975年)山王に編入され、昭和56年(1981年)に尾頭橋に町名が変わった。
 神社は昭和20年(1945年)5月17日の空襲で焼失。
 昭和26年(1951年)に再建された。

『寛文村々覚書』(1655-1658年調査)の古渡村の項を見ると、「八幡宮 権現 明神」となっていて、天王社や秋葉権現などはない。
『尾張志』(1844年成立)も「榊森社 神明社 八幡社(くらがりのもり)」となっており、同じく見当たらない。
 わざわざ書くまでもない小さな祠だったということだろうか。
『尾張国地名考』の中で津田正生は古渡の地名についてこう書いている。
「地名正字なり 古といふ言の付きたる地は最初の呼名にあらず。
【相傳云(そうでんいわく)】 むかしは方端(かたは)の里といふ 正字潟濱なるべし その後、古渡と改まり、後又一女子村と更り今再び古渡とよぶという」
 かつてあった渡し船がなくなったという話ではないものの、このあたりが浜辺だったという話は共通している。
 尾頭橋の地名の由来については闇之森八幡社のところで書いた。
 少しだけ付け加えると、尾頭橋は堀川に架かる佐屋街道の通りなのだけど、新橋とも呼ばれていた。それは佐屋街道がかつては違う道筋で、新しい道筋に架けられた橋だったからだ。
『張州府志』(1752年完成)によると「古時、佐屋街道は二女子村の方より今の亀屋河渡へかゝり、熱田本街道へ出ると也。されば於て、旧の街道の跡、田間に遺れり。然るに今の尾頭町街道に改まりし時、新に此校を築きし故に、新橋と呼び来れるか不審」ということなのだけど、不審というから確証はないということなのだろう。
 亀屋河渡というのがどのあたりかがちょっと分からないけど、おそらく旧道は少し北を通っていたのだろう。
『名古屋府城志』(1822年)に、「古渡橋 これは闇の森の西にあり、此街道は海東郡人、東本願寺へ往来多く、今は人家数戸造立せり」とある。
 古渡より西に住む人たちが東本願寺名古屋別院へ行くときに通った道で、民家が数軒あるだけの寂しい場所だったようだ。
 尾頭橋の一つ北が古渡橋で、そこから東へ進むと南北を走る美濃路にぶつかり、南へ行けば熱田神社があり、北東へ行くと古渡稲荷神社・山王社名古屋東別院地図)がある。

 尾頭橋一帯で毎年7月、中川金魚まつりというお祭りが行われている。
 今年で62回を数えるくらいだから、63回の名古屋まつりと同じくらいの歴史があるということだ。
 今年2017年は来る7月22日(土)、23日(日)に開催される。
 2日間で5万人を超える人が訪れるというから、このあたりではよく知られた祭りなのだろう。
 神輿が出たり、ミス金魚がオープンカーでパレードをしたり、阿波踊りが行われたりするらしい。
 どうして金魚なんだろうと不思議に思ったら、弥富の金魚業者と組んで金魚を展示したり、金魚神輿を作ったりしたことで金魚まつりの名称が定着したとのことだ。
 中川区というとこれといった名物がなくて、途中キャラに悩んで迷走し、ほたる祭りと名前を変えてホタルを配ったりしたこともあったそうだ。

 尾頭橋にはかつて八幡園遊郭があった。今でもその名残の建物が少し残り、昭和の風情をとどめている。散策したり、写真を撮ったりするにもいい町だ。
 そんな町にある神社だから、もう少し社殿などに風情があってもいいのかなと思うのだけど、戦後復興の中で神社の風情なんてことにまで頭が回らなかったとしても仕方がない。
 それにしても、ここがスサノオ・カグツチを祀る神社とは思わなかった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

尾頭橋駅の思い出と西古渡神社

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