五社宮

いろいろあったけど今は落ち着いてます

五社宮

読み方 ごしゃ-ぐう
所在地 名古屋市天白区八事天道322番地 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十三等級
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
月夜見尊(つきよみのみこと)
五百箇磐石尊(いおついわむらのみこと)
豊受大神(とようけのおおかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
アクセス 地下鉄鶴舞線「八事駅」から徒歩約3分
駐車場 なし
webサイト  公式サイト
その他 例祭 10月第2日曜日
オススメ度 **

 八事駅南の八事天道の地名は、かつて天道山高照寺と天道社が由来となっている。
 五社宮の社名は、日神・月神・星神・神明・祇園の五社を祀っているところから来ている。
 中心のお宮が日宮社で、祭神は天照大御神となっている。
 その左右に月宮社の月夜見尊(ツクヨミ)と星宮社の五百箇磐石尊(イオツイワムラ)を祀る。
 日の神を中心に、左右に月と星の神を祀るというのは理にかなっていてしっくりくる気がするのだけど、これはかなり珍しい。名古屋ではここだけだ。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「寛保元酉歳(1741)5月28日尾張国丹羽寄木村より遷座し祀る。石坂の産土神として崇敬あつく、明治5年、村社に列格する。昭和3年10月、社務所を新築した」

 創建年は不明ながら、江戸時代には尾張国丹羽郡稲木荘寄木村に天道社と称して鎮座していた。現在、稲木神社があるところだ(江南市寄木町寄木/地図)。
 1741年(寛保元年)に高照寺の自貞尼が高照寺とともに天道社を愛智郡八事村の現在地に遷座した。尾張藩の命という話もあるけど、そのあたりの事情についてはよく分からない。
『尾張徇行記』(1822年)はこんなふうに書いている。
「高照寺ハ当村野方新田ノ内ニアリ、当寺ノ書上ニ境内十町七反四畝十六歩御年貢地ナリ、此寺昔時不易山天道寺トイヒシカ、寺社帳ニ漏レアレハニ寺号ニナラサルカ故ニ、享保九申辰年津島天王社ノ社僧不深坊ノ譲リヲウケ、天道山高照寺ト改号シ、京師妙心寺ノ末寺トナル、其比ハ丹羽郡寄木抄寄木村ニアリシカ、享保元丙申年今ノ処ニ寺ヲ移シ、天道宮井ニ五社神共ニ当山ヘ遷座ス」
 丹羽郡寄木村にあった高照寺はもともと不易山天道寺といっていたようだ。享保9年(1724年)に津島天王社(web)の社僧の不深坊が天道山高照寺と改称して京都妙心寺(web)の末寺になったということだ。その後、1741年に何らかの理由で八事村に高照寺と天道社が移された。このときすでに五社神とあるので、5柱の神を祀る神社という認識だったのだろう。
『尾張名所図会』(1844年)に絵図が載っており、広大な境内地だったことが分かる。今でいうと、高照寺から五社宮、イオン、料亭八勝館あたりまで境内だった。
 本堂の脇にある「おひのや」という社が天道社だろう。その横には池があって弁天も祀られている。
「尼僧これを守る。臨済宗、京都妙心寺末」とあるように、江戸時代を通じて尼僧が守る尼寺だった。徳川家の祈願寺となり、檀家を持たなかったという。
 本堂は天道宮と呼ばれ、本尊は大日如来だった。

 天道(てんどう/てんとう)というと太陽のことをお天道様というように太陽のことであると同時に天の道、天の意志、天命といったものでもある。
 中国から仏教や儒教の思想として日本に入ってきて、日本では神道と結びついて独特の天道思想へと発展していった。
 簡単にいうと、人の行いや生き死には天が決めることで、因果は巡る、つまり運命論や因果応報といった思想だ。特に戦国時代に天道思想というものが武士から農民にまで浸透していったと考えられる。
 寄木村にいつ誰がどんな神を祀る神社を建てたのかは分からないのだけど、戦国時代までには天道思想による天道社となっていたと考えていいのではないか。それは太陽神である天照大神を祀る神社ではなかったはずだ。

 星宮で祀られている五百箇磐石尊は、文字通りなら五百個の磐石(いわお)=大きな石という意味だ。
 火の神であるカグツチ(軻遇突智)が生まれたことでイザナミ(伊弉冉尊)が死んでしまったことに怒ったイザナギ(伊弉諾尊)は、十握剣(とつかのつるぎ)でカグツチを斬り殺し、そのとき飛び散った血が五百箇磐石となったと『日本書紀』は書いている。
 五百箇磐石から磐裂神(イワサク)・根裂神(ネサク)が生まれ、経津主神(フツヌシ)の祖となったともいう。
 経津主神は香取神宮(web)の主祭神であり、鹽竈神社(web)でも祀られる神だ。
 どうしてカグツチの血から生まれた神が星の神とされたのかはよく分からない。
 星神を祀るとされる神社では五百箇磐石の子の根裂神を祀っているところもある。中川区の赤星神社などがそうだ。
 他の二社は、神明社で豊受大神(トヨウケ)を、祇園社で須佐之男命(スサノオ)を祀っている。

 江戸時代に寄木村から高照寺と天道社を移したというのだけど、実は元地にも元宮として稲木神社があるのでちょっとややこしい。
 明治の神仏分離令を受けて、高照寺はそのまま八事に残り、天道社は五社宮として独立し、元宮があった寄木村でも再び祀るようになった。
 その元宮は天道社ではなく稲木神社と称しているのには理由がある。そのことがこの神社の変遷を複雑なものにしている。
『延喜式』神名帳(927年)に載る丹羽郡稲木神社は、戦国時代には所在不明になっていた。
 それは寄木村にある天道社のことだとしたのが尾張藩の国学者で神社研究の第一人者、天野信景(あまのさだかげ)だった。
『尾張志』や『尾張徇行記』もこの説に賛同しており、寄木村の天道社が『延喜式』神名帳の丹羽郡稲木神社だとしている。
 根拠としては稲木荘の稲木は和名抄(931-938年)にも載る古い地名で、古代氏族の稲木別(いなぎのわけ)が住んでいただろうからだとする。
 その稲木別が祖の
大中津日子命を祀るために建てたのが稲木神社ではないかと書いている。

 大中津日子(オオナカツヒコ)は、『古事記』では男性として描かれ、『日本書紀』では大中姫命(オオナカツヒメ)という女性として登場する。
 第11代垂仁天皇の第三子で、上には五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコ)と大足彦尊(オオタラシヒコ)という二人の兄がいて、下には妹の倭姫命(ヤマトヒメ)と稚城瓊入彦命(ワカキニイリビコ)という弟がいる。
 垂仁天皇が二人の兄弟に何が欲しいか尋ねたところ、兄の五十瓊敷入彦命は弓矢が欲しいといい、弟の大足彦尊は皇位が欲しいというので、弟に皇位を譲り、第12代景行天皇となった(ヤマトタケルの父)。兄の五十瓊敷入彦命は菟砥川上宮(うとのかわかみのみや/大阪府泉南郡阪南町)で千の剣を作って石上神宮(web)に納め、それ以降、石上神宮の神宝を掌握することになった。
 その五十瓊敷入彦命が年老いたとき、もう自分は管理ができないということで妹の大中姫命を呼び、これからはお前が石上神宮の神宝を守っていって欲しいと頼んだところ、大中姫命は体が弱いことを理由に断り、代わりに物部十千根大連(モノノベノトオチネノオオムラジ)に石上神宮の宝を守ることを託した。物部氏が石上神宮を守ることになったのはこういう経緯があったとされる。
 倭姫命は豊鍬入姫命の跡を継いで天照大神を祀る場所を求めてさすらい、伊勢に神宮(web)を建てた皇女としてよく知られている。甥のヤマトタケルが頼ってきたとき、草薙劔を渡したのも倭姫命だ。
 稚城瓊入彦命に関しては記紀に活躍の記述がなくよく分からない。
 大中津日子/大中姫命は、『日本書紀』を見る限り女性の印象が強いのだけど、『古事記』では、山辺之別(ヤマノベノワケ)、三枝之別(サキクサノワケ)、稲木之別(イナキノワケ)、阿太之別(アダノワケ)、尾張国の三野別(ミノノワケ)、吉備の石无別(イワナシノワケ)、許呂母之別(コロモノワケ)、高巣鹿之別(タカスカノワケ)、飛鳥君(アスカノキミ)、牟礼之別(ムレノワケ)の祖としていることからすると、やはり男性とみるべきか。あるいは、別人という可能性もあるだろうか。
 三野別は『延喜式』神名帳に中島郡見努神社(みぬじんじゃ)があり、その神社は三野別に関係があるのではないかと『尾張志』は書いている。
 見努神社は失われてしまって現存していない。
『延喜式』神名帳の稲木神社のもうひとつの論社として、犬山の天神社がある(犬山東古券/地図)。
 かつては針綱神社(web/地図/これも式内社とされる)に属していた古い神社で、川の氾濫で1767年に現在地に移されたという。
 ただ、旧地にも社は残り、田中天神と称していた。津田正生は、この田中天神が『延喜式』神名帳の稲木神社だとしている。
 犬山の天神社では天照大御神、大中津日子命、少彦名命、菅原道真を祀っている。
 田中天神は、『延喜式』神名帳の丹羽郡石作神社の論社でもある。

 現在の五社宮は、式内社といったようなことを主張しておらず、論社ともなっていない。
 式内社であったとしてもなかったとして、5柱の神を祀るようになったのは中世以降のはずだ。そのあたりがどういう経緯だったのかはもはや知りようがない。
 今の五社宮には稲荷社、秋葉社、白山社、祓戸社の境内社がある。
 スサノオを祀る社は津島社ではなく祇園社の八坂権現を名乗っていたり、祓戸社があったりと、なかなかユニークだ。
 よその村から見知らぬ土地へやって来て、寺と合体したかと思ったら独立して、分社が元の地に戻っていって自分はここに残って、近所から集めてきた社を一緒に祀ってと、長い間にはいろんなことがありましたという感じの神社だ。
 境内は決して広くないものの、街中の喧噪を忘れさせるほど落ち着いた空気感が満ちている。いろいろあったわりに鎮まっている感じがした。

 

作成日 2017.12.23(最終更新日 2019.2.5)

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