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若宮稲荷(大高)

イッツ・ア・スモール・稲荷ワールド

大高若宮稲荷

読み方 わかみや-いなり(おおだか)
所在地 名古屋市緑区大高町小坂48 地図
創建年 1953年(昭和28年)
旧社格・等級等 不明
祭神 若宮稲荷大明神(わかみやいなりだいみょうじん)
アクセス JR東海道本線「大高駅」から徒歩約14分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 なにやらおどろおどろしい雰囲気が色濃く漂う場所で、ここは確実に何かいるだろうと思う。神といえば神だし、もののけのたぐいといえばそうかもしれない。
 たまにそういう神社があって、それは高い確率で稲荷社だったりする。

 この神社の成り立ちについては、境内にある説明書きによってある程度知ることができる。
 創始者に当たるのが岡﨑安(おかざきやす)という人物だ。
 清洲の名家に生まれた岡﨑安は、戦時中、一人息子を抱えて空襲から逃げ、信仰に目覚める。
 長寿寺や山神社などで荒行を行っているのがたびたび目撃され、それを見た絞り屋の小野賢三郞が有志を募って資金を出し、小坂の丘の上に小屋を建てた。安の修行場とするためで、それが今の若宮稲荷につながっている。
 昭和28年(1953年)、伏見稲荷大社(web)で修業を行った安は、長寿寺と同じ高蔵坊稲荷を社に祀った。
 昭和37年(1962年)、息子の下賜金や寄付金で高台に三社殿を建てた。
 このときの中心が若宮稲荷なのだと思うけど、若宮稲荷をどこから勧請したのかは書かれていない。伏見稲荷大社にあるたくさんの社の中に若宮があるのかどうか。
 若宮稲荷と称するところは長崎県の他に青森や島根にもあり、ハワイにもあるというから、そのあたりと関係があるのかもしれない。
 説明書きには若宮稲荷は大陸の洋狐とあるのだけど意味は不明だ。そもそも稲荷神は食物神で、キツネは稲荷神のお使い(神使)でしかなく、信仰の対象ではない。
 昭和41年(1966年)、安は心臓肥大の病に倒れるも一命を取り留める。
 昭和58年(1983年)に没したという。

 岡﨑安亡き後、誰かが管理を引き続いたのだろうけど、安が存命の頃はここももう少し違っていたんじゃないかと思う。
 現在は若宮稲荷に加えて、伊勢伏見助四朗稲荷大神、清水甲斐守大神、戸隠神社九頭龍大神とある木札が立てられた4つの社があり、隣の石碑には「七力大神 銀狐大神 白狐大神 金狐大神」と彫られている。反対側には「安大明神 嚴明神 たか大明神」の銘が入った石柱も建っている。石段の途中には勇白龍神の石碑もあった。
 なかなかにごた混ぜのカオス状態になっている。

 銀狐(ぎんこ)・金狐(きんこ)は荼枳尼天(だきにてん)の化身ともいわれ、銀は月、金は太陽のシンボルともされる。
 荼枳尼天を由来とする稲荷は寺で祀られているものがそうで、これを安が持ち込んだのかどうかは分からない。
 七力は七つの力という意味か、別の意味があるのか不明。
 伊勢伏見助四朗稲荷大神もよく分からない。三重県四日市の海山道神社の境内社に助四郎稲荷社があるのでそこから来ているのかもしれない。
 清水甲斐守大神は尾張藩家老で大高を領していた志水甲斐守のことか。
 戸隠神社九頭龍大神は戸隠神社の九頭龍神を祀っているのだろう。
 安大明神は岡﨑安のことで、嚴明神とたか大明神は、この神社の関係者のことと思われる。

 由緒書きとは別の貼り紙に、平成25年6月9日の午後、南天のところにいた猫があわてて逃げ去ったので神殿の方を見ると白い狐が現れたという話が書かれている。
 更に別の貼り紙にはこんな逸話が載っている。
 税務署務めをしていた深谷鉄治さんは結核をわずらい退職し、仕事に困っていたとき若宮稲荷を訪れると、安に「ガソリンを売れ」といわれ、リヤカーにガソリンを積んで売り歩いたところ、モータリゼーションの波に乗り成功し、晩年には大府市に多大な貢献をしたということで勲四等を授与されたのだとか。

 個人の信仰から出発して周りを巻き込んでひとつの神社が建つこともある。岡﨑安という人の信仰心や信念は純粋なものだっただろうことが伺える。
 ただ、この神社の現状を見ると、やや危うさを感じる。崖の途中にあって建物が老朽化しているのでそういう意味でも危ない。
 稲荷神というのは強いがゆえに反面で危うさもあるので、中途半端に近づかない方が身のためかもしれない。

 

作成日 2018.10.21(最終更新日 2019.4.4)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

稲荷神と仲間たちのたまり場的な若宮稲荷

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