金城六所社

やっぱりさっぱり六所社は分からない

金城六所社入り口

読み方 きんじょう-ろくしょ-しゃ
所在地 名古屋市北区金城町4-27 地図
創建年 不明
社格等 村社・九等級
祭神

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
素盞男尊(すさのおのみこと)
月夜見尊(つくよみのみこと)
蛭児尊(ひるこのみこと)

 アクセス

・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約32分
・地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約29分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 名古屋市北部に6つの六所社がある。
 北区の上飯田六所宮下飯田六所社成願寺六所神社、東区の矢田六所神社、西区の比良六所神社、そしてこの北区金城の六所社。
 これまで六所社とは何かを追求して、調べられることは調べ、考えられることは考え、私なりの推理を展開しつつ、分からないまま保留としてきた。今回が六所社の最終回ということで何らかの結論を出したかったのだけど、やっぱり分からないままお手上げとなった。こんなに分からない神社は他にない。
 金城六所社についても情報はごく少ない。創建不明で、天文十六年(1547年)に富野左京亮高友が社殿を再建した棟札が残っていることくらいだ。
 富野高友というのは、この村に住んでいた武将で、稲生の戦い(1556年)のとき織田信行に従って戦い戦死している。
 村社に列格したのが明治5年ではなく明治11年だったというのが少し引っかかるものの、六所社の正体を知る手がかりにはならない。

 六所社の何が分からないのかを思いつくまま箇条書きにすると以下の通り。
・いつ創建されたのか
・誰が創建したのか
・六所社の六所は何を意味しているのか
・江戸時代に称された六所明神とはどんな神か
・最初から六所社として創建されたのか、もしくは途中のどこかで六所社になったのか
・イザナギ・イザナミのファミリーは最初からなのか後付けなのか
・どうしてヒルコが入っているのか
・何故、名古屋市北部にだけ固まっているのか
・庄内川流域という地理的な条件と関係があるのかないのか。
味鋺神社別小江神社大乃伎神社といった式内社とされる古い神社も一時期、六所明神と称していたのはどういうことか
・奥州(宮城県)の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)と関係があるのかないのか
・徳川家康の祖先である松平氏が松平郷に建てた六所社と関係があるのかどうか
・各国にあった総社としての六所社との関係は
・静岡県西部、浜松市に集中している六所神社との関係はどうなのか
・何故、六所社になる前の神社のありようや祭神が覆い隠されているようにみえるのか
・何故、これほど情報が少ないのか
・江戸時代に書かれた『尾張志』や『尾張名所図会』に六所社に関する記述がほとんどないのはどういう理由からなのか

 地理的なことを考えると、庄内川の流域に多いというのはひとつある。
 ただ、左岸と右岸に別れていることと、矢田六所神社や下飯田六所社などは南にかなり離れているし、比良六所神社は北に離れているから、必ずしも流域とはいえない。
 金城六所社は、矢田川の付け替え工事(1930年)が行われる前は、矢田川南の川に近いところに位置していた。
 創建時期についても、本当に読めない。江戸時代のように新しいことはないことは確かとして、戦国期のようでもあり、鎌倉期あたりのようでもあり、あるいはもっと古い可能性もある。
 それぞれの神社に一貫性や共通項がないといえばない。
 下飯田六所社は、六所社になる前は八幡社だったことが分かっている。これは数少ない手がかりのひとつだ。八幡社は本殿脇の小さな祠に移されて、本殿にイザナギ・ファミリー六柱の神が祀られている。ただ、下飯田六所社も最初から八幡社として創建されたのか、別の神社が鎌倉期あたりに八幡社になったのかは分からない。
 比良六所神社はかなり異質の六所社で、相当な古社の匂いがした。津田正生が主張するように『延喜式』の山田郡太乃伎神社は比良六所神社の可能性があると私も思っている。
 矢田六所神社も別の意味でよく分からない神社で、山田重忠が創建したという話がある。平安末から鎌倉前期の武人で、幕府の御家人として山田荘をおさめていた人物だ。しかし、カミムスビ(神皇産霊神)を祀ったというのはどうにも信じられない。山田重忠とカミムスビはどうにも結び付かない。
 ある時期、このあたり一帯で六所社が流行ったのか、それとも、ある勢力が乗っ取って六所社に上書きしたのか。
 多くが山田郡内ということを考えると、山田重忠が関わっている可能性もあるけど、郡内の神社を塗り替えるようなことをするだろうか。戦国武将の信長や秀吉などでもそんなことはしていない。
 では、住人たちが自発的に六所社に鞍替えしたということだろうか。もしそうだったとしても、鎌倉期に流行った八幡社などとはわけが違う。八幡社は戦の神で応神天皇を祀るということがはっきりしているけど、六所社の祭神ははっきりしていない。村人たちがイザナギ・ファミリーを祀るだろうかと考えると、どうにも納得ができない。
 別の可能性として、イザナギ・ファミリーといえば皇室、朝廷といった勢力の意向ということが考えられるだろうか。けど、それならこの地域に限定されていることの説明がつかない。
 ある時間とある空間が交わった狭いポイントに六所社が誕生した。それはたぶん事実だ。分からないのは六所社の神の正体だ。この謎の答えを誰が知っているのだろう。

 変な言い方だけど、金城六所社は六所社にしておくにはもったいないくらい立派な神社だと思った。ここはなかなかいい神社だ。比良六所神社のような重厚さはないものの、陽気ないい気に満ちている。これで六所社じゃなければもっとよかったのにと思うのは私くらいだろうか。
 六所社はよく分からないから苦手意識がずっとあったのだけど、比良六所神社と金城六所社がその気持ちをずいぶん和らげてくれた。特に比良六所神社を知ることができたのは大きな収穫だった。あそこはまた行きたい。

 名古屋市内の六所社めぐりを終えて、ついにその正体に迫ることはできなかった。一宮市などの市外にも数社があるものの、名古屋北部の六所社とは関係が薄そうなので、ここでとうとう行き止まりということになるだろうか。
『北区誌』にも当たってみたけど、これといった情報は得られなかった。
 ただ、まだあきらめきれない気持ちも残っている。六所社問題は迷宮入りとせず、継続捜査対象としておきたい。
 あらたに分かったことがあれば、どこかに追記として書くことにしよう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

金城六所神社は普通にいい神社だなぁと思う

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