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神明社(宝生)

宝生新田の氏神には違いない

宝生神明社

読み方 しんめい-しゃ(ほうしょう)
所在地 名古屋市南区宝生町3丁目138 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 指定村社・十三等級
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
アクセス 名鉄常滑線「大同町駅」から徒歩約16分
駐車場 なし
その他 例祭 10月第2日曜日
オススメ度

 かつての宝生新田の氏神として創建された神社とされている。
 境内にある由緒碑や『南区神社名鑑』は神社創建を安政年間(1854-1860年)としている。
 しかし、宝生新田の開発は1793年(寛政5年)であり、1842年(天保12年)に描かれた宝生新田の新田図に氏神として記載されていることからして、神社創建は1793年以降1842年以前ということになりそうだ。
 1844年完成の『尾張志』には「寶生ノ社 寶生新田にあり」とあり、これが今の宝生神明社のことであれば、やはり神社創建が安政年間ということはあり得ない。
『尾張徇行記』(1822年)には山崎村の項に宝生新田の記述があるものの神社については触れていない。
『愛知縣神社名鑑』は、「創建は明かではない。南割の氏神として昔から代々崇敬あつく明治5年7月、村社に列格す」と書く。

 宝生新田を開発したのは由緒碑によると成田儀兵衛という。どういう人物かは調べても分からなかった。
『南区の歴史』は、開発者不詳としている。
 新田図によると、用水路によって区域を三つに分けて、それぞれ笠寺村分、本地村分、南野村分とあるので、3つの村が共同で開発した新田だっただろうか。
 神社が最初からアマテラスを祀っていたかどうかも何とも言えない。『なごやの町名』は、熱田神宮(web)ゆかりの神社と書いているので、もしかすると江戸時代は熱田大神を祀っていたかもしれない。
 最初は現在地より600メートルほど北の港東通交差点南西、パチンコ丸林のあたりに建てられたようだ(地図)。ここが宝生新田の北の端だった。
 今昔マップに鳥居マークは描かれていないものの、明治から昭和にかけての移り変わりが見てとれる。
 大正元年(1912年)に宝生公園の南西に遷座した(地図)。
 名鉄常滑線の前身である愛知電気鉄道の傳馬駅 – 大野駅間が開業したのが同じ年の2月18日(明治45年)なので、そのことと関係があったかもしれない。
 247号線が拡張されるまでは旧知多街道がメインの通りで、大江川には大江橋が架かっていた。神社はその北に位置していた(大江橋は昭和20年に廃止)。このとき秋葉社を祀っている。
 現在地に遷座したのは昭和16年(1941年)のことだ。新田整理に伴うもので、このとき津島社を祀った。

 星﨑というとここより東の名鉄名古屋本線の本星﨑駅(地図)や星宮社があるあたりを思い浮かべるけど、宝生のあたりもかつては星﨑という地名だった。宝生町の西には本星崎町の町名も残っている。愛知電気鉄道時代は宝生に星﨑駅もあった。
 明治11年(1878年)に南野村、大江新田、繰出新田、八左衛門新田が合併して星崎村となる。更に本地村、水袋新田、宝生新田、豊宝新田が合併して本星崎村となった。
 明治22年(1889年)に星崎村と本星崎村が合併して星崎村が発足。
 明治39年(1906年)に笠寺村、鳴尾村と合併して笠寺村が発足。このとき星崎村は廃止になった。
 大正10年(1921年)に笠寺村が名古屋市に編入されて名古屋市南区の一部となる。
 昭和30年(1955年)、本星崎町の一部より宝生町が成立。

 宝生の地名は、おそらく宝生如来から来ている。
 密教における金剛界五仏の一仏で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(大日如来の向かって左)に位置している。
 仏の悟りの境地のひとつ「平等性智(びょうどうしょうち)」を具現化したもので、全ての存在には絶対の価値があるということを示しているとされる。
 具体的には財宝を生みだし、人々に福徳を授ける仏と考えられている。
 宝生如来単独で彫られることはほとんどなく、五大如来のひとつとして彫られ、京都の東寺(web)や奈良の唐招提寺(web)などで見ることができる。

 宝生公園の南には、東西に長く延びる大江川緑地がある。
 かつての大江川に沿っており、全長は1.8キロほどで、面積にすると11.5ヘクタールというからけっこう広い。
 明治時代末から埋め立てによって名古屋港が広がっていくことで大江川が形作られていった。
 昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で大江川の堤防が決壊して大きな被害を出した。
 その後、宅地化が進み、工場からの排水で大江川は水質が悪化したため、川を埋めて緑地公園にしたのが大江川緑地だ。昭和54年(1979年)に完成した。

 創建年代やいきさつに不明な点はあるものの、その後の遷座の経緯などはわりとはっきり伝わっている神社だ。
 境内に家が建っており、生活感があるからどなたか住んでいるようだ。神社の方かもしれないし違うかもしれない。
 神社の南は月極駐車場になっている。
 もしこれが一体化しているのだとすれば、神社経営のひとつのスタイルだ。境内に家を建てて住み、境内の一部を月極駐車場にすれば、生活は安定する。これからの神社経営の在り方として、それはそれでありなんじゃないかと思うけどどうだろう。

 

作成日 2018.4.15(最終更新日 2019.8.27)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

境内に家がある宝生町の神明社

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