神明社・八幡社合殿(杉ノ宮)

神明社にクニノトコタチを祀るとは

神明社・八幡社合殿・杉ノ宮神社

読み方 しんめいしゃ-はちまんしゃ-あいどの/すぎのみや
所在地 名古屋市北区中杉町1-18 地図
創建年 1630年(江戸時代前期)/1541年(戦国時代後期)
社格等 村社・七等級
祭神

国常立尊(くにのとこたちのみこと)
應神天皇(おうじんてんのう)

 アクセス

・名鉄瀬戸線「清水駅」から徒歩約12分
・地下鉄名城線「志賀本通駅」から徒歩約14分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 現在地に1630年(寛永七年)に創建された神明社と、少し西の小幡越に1552年(天文十年)年に建てられた八幡社を合祀したのが1906年(明治39年)のこと。
 どちらかがどちらかを吸収合併するのではなく並び立つように両社の名前を残すというパターンは、同じ北区の八王子神社春日神社と同じパターンだ。名前は長ったらしくなるけど、両社を丸く収めるという点ではいい方法かもしれない。
 合殿をどう読むのが正式なのかが分からない。相殿と書く場合は「あいどの」と読むのが一般的だ。「あいでん」でも間違いではない。相殿も合殿も同じ意味とされるけど、相と合では微妙にニュアンスが違うようにも思う。もしかするとこの場合は、「ごうでん」と読ませるのかもしれない。
 幟(のぼり)に杉ノ宮とあるように、地元の人たちの間では杉ノ宮神社と呼ばれることが多いようだ。
 この神社の場所が分からなくて道行く人に訊ねる場合、「しんめいしゃはちまんしゃあいどのはどこですか?」というよりも「すぎのみやはどこですか?」と訊いた方が話は早いと思う。
 このあたりは杉の付く町名が多い。この神社があるのは中杉、南は大杉、東は杉栄で、江戸時代まではこのあたり一帯を杉村と呼んでいたようだ。かつての八幡社は鬱蒼とした森の中にあったというし、一面杉林だったのだろうか。
 そういえば、片山神社の天狗伝説では天狗が腰掛けた大杉の話があった。片山神社も杉村地区の南端にある。
 神社の少し西には旧木曾街道が南北に通っている。神社の東700メートルほどには、名古屋四大花街のひとつ、城東園(大曽根)があった。
 城東というのは文字通り名古屋城の東という意味で、江戸時代までこのあたりは城下の外れで、森の広がる寂しい場所だったと思われる。

  神明社では国常立尊(クニノトコタチ)が祀られている。
 これは一体どういうことか。
 古い時代に創建された神社ならともかく、江戸時代前期の1630年という時期にクニノトコタチを祭神とするのは普通のことではない。
 建てたのは名古屋藩士(尾張藩士)の小笠原総左ヱ門という人物だという。どういう人物かは調べがつかなかった。何者だろう。
 そもそも、神明社にクニノトコタチを祀るなどということがあるのだろうか。 

 国之常立神とも書き、別名を国底立尊(くにのそこたちのみこと)という。
『日本書紀』では初めて現れた神とし、『古事記』では神世七代(かみよななよ)の最初の神としている。
 常に立ち続ける神、あるいは国の土台とされる神だ。
 天之御中主神と同一神とする説もあり、始源神、根源神としてこの神を重要視する考え方が一部にある。
 その最たる例が大本教だ。

 明治25年(1892年)、京都綾部に住む出口直(なお)というおばあちゃんに突然、艮の金神(うしとらのこんじん/東北の祟り神)がとりついて神懸かり状態になってしまったところから話は始まる。
 神道家の王仁三郎(のちに出口直の養子となる)は、この神をクニノトコタチと判断し、ふたりは大本教団を作り、クニノトコタチによる世直しを掲げて布教活動を始める。
 大正から昭和初期にかけてそれは大きなうねりとなる。
 宮中の関係者や軍の将校なども多数参加したことから国が問題視するようになり、国家による宗教弾圧へと発展していった。
 明治に入って国はアマテラスを最高神とする神道国家を目指していた。そんな時期に別の神を最高神とする宗教団体を放置しておくわけにはいかなかった。それだけ大本教の影響力が大きくなっていたということだ。
 大正10年(1921年)と、昭和10年(1935年)の二度にわたって大弾圧が行われ、大本教は壊滅的な打撃を受けることになった。

 その他、クニノトコタチを重視する神道に、伊勢の度会神道(わたらい/伊勢神道/外宮神道)と、それを受け継ぐ形になった京都の吉田神道がある。
 木曾の御嶽山の山頂に祀られているのもクニノトコタチだ。
 木曽御岳は702年に 役小角が開山し、高根道基が山頂の剣ヶ峰に御嶽神社奥社を創建した。続いて774年、信濃国司の石川望足が勅命によって大己貴命と少彦名命を祀り、三柱をあわせて御嶽大神とした。
 クニノトコタチをネットで検索すると、御嶽山噴火とJAL123便の墜落事故のことがヒットする。そのあたりの話はこのサイトの趣旨から外れるので触れないけど、御嶽山に祀られている三柱の神が象徴するように、クニノトコタチは大和(天津神)に対して出雲の側の神(国津神)として捉えられている。
 付き従っているオオクニヌシとスクナヒコナは地上で国造りをした神だ。オオクニヌシは高天原を追放されたスサノオの子(もしくは子孫)で、天孫降臨のニニギに国を譲って(奪われて)出雲大社で祀られることになった。
 京都にある御蔭山(みかげやま)は古くからクニノトコタチが鎮座する地として山そのものが御神体となっている。長く禁足地とされ、現在でもクニノトコタチを祀る磐座までしか立ち入ることが許されていない。
 その御蔭山の麓(ふもと)には丹波国一宮の出雲大神宮がある。社殿が建てられたのは702年とされる。
 出雲大神宮の社伝によると、出雲大社は出雲大神宮から勧請されたとしている。
 クニノトコタチがどういう神を簡単に説明するのは難しいのだけど、少なくともアマテラス側の神ではない。宇宙そのものの創造神ともいう。

 これらの話を踏まえた上で考えたとき、神明社はアマテラスを祀る神社なのに、そこにクニノトコタチを祀るというのはどう考えても変だということになる。他の神社でもそういう例はあるのだろうか。本当に最初から神明社だったのか、明治の神仏分離令で神明社に変えられてしまったということなのか。
 創建した小笠原総左ヱ門という尾張藩士がどういう人間だったのか分かれば少しは手がかりになるのだけど、そのあたりはまったく分からない。藩士の名簿を確認できるならしないといけないか。
 クニノトコタチのことをきちんと理解した上で祀ったのか、あえてこの祭神を選んだのか、なんとなくで祀ってしまったのか、そのあたりのことはなんとも判断のしようがない。
 クニノトコタチを主祭神として祀っている神社が他にも名古屋にあるのかどうか。どこかで出会うことがあれば、この問題を引き続き考えてみたいと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

HOME 北区

スポンサーリンク
Scroll Up