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鈴之御前社

女神が統べる清浄な祓所

鈴之御前社

読み方 れいの-みまえ-しゃ
所在地 名古屋市熱田区伝馬2丁目6-7 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 天鈿女命(あめのうずめのみこと)
アクセス 地下鉄名城線「伝馬町駅」から徒歩約3分
駐車場 なし
その他 茅の輪くぐり 7月31日
オススメ度 **

 予備知識なしに出向いていった第一印象は、ちょっと変わった神社だなというものだった。通常の神社とは違う感触のようなものがあった。
 境内にしばらく身を置いて感じたのは、伊勢の神宮(web)系、たとえば瀧原宮(web)に近い感覚だった。
 空間としての清浄さがある。強いエネルギーを発しているというのではなく、気が整っているという感じがした。ここは祈りの場所ではなく、もっと特別な何かを行う場なのではないかと思った。あるいは、神は不在なのではとも。
 そんな不思議な感触を持ち帰ってこの神社について調べてみると、私の感じたものはあながち的外れなものではなかったことが分かった。
 ここはかつて熱田社へ行く人が祓いをしてした場所だった。この社にいる神に願い事をする場所ではなかったということだ。だから空間としての清浄さがあり、神は不在なのではないかと私が感じた理由もそこにあったのかもしれない。

 社殿が北を向いているのは珍しいけど、戦後の昭和35年ここに移されたときにそうなっただけで、前の場所では普通に南向きだった。
 かつてはここから200メートルほど東の精進川(今の新堀川)のほとりにあった。ブックオフ熱田とトヨタカローラ愛豊の間あたりだろうか(地図)。東海道を北へ入った正覚寺の東隣だ。
 今昔マップ(1888-1898年)を見ると、鳥居マークは描かれていないものの、江戸時代から続く街道や町並みが見てとれる。
 精進川の流れが今の新堀川とはだいぶ違っていたことも分かる。
『尾張名所図会』(1844年)に描かれた絵を見ると、東海道沿いの正覚寺の入り口付近にあったことが確認できる。精進川を挟んで対岸には政林寺が見えている。

『尾張志』(1844年)はこう書いている。
「鈴(スズ)ノ御前社 精進川の邊にあり俗に此處を鈴の宮といふ祭神詳ならす府志に天ノ細女ノ命を祭るといへるも一傳説なから猶決めかたし此社もとは東脇村にありしをいつはかりにかありけむここにうつし祭れる也とそ徇行記に富江町の内伊助といふもののうらに往古よりささの宮といへる小祠あり是は鈴の宮の舊址のよし申傳たり此地はむかし東脇村の内なるゆえ東脇浦にて頭立たる家筋師人と唱るともがら(後略)」
 精進川のほとりに移される前は東脇村にあって、それは笹宮がある場所だという。
 笹社は現存していて現住所は伝馬1丁目7(地図)となっている。そこが鈴之御前社の旧地だったらしい。
 現在地に移された時期は不明のようだけど、江戸時代に入って東海道が整備された後だろう。
 祭神について『張州府志』(1752年)ではアメノウズメとしているけど実際のところはよく分からないと書く。
『尾張名所図会』は、「鈴御前社(すずのごぜんのやしろ) 正覚寺の東にあり。祭神雨細女命(あめのうずめのみこと)」と断定的に書いている。
『名古屋市史 社寺編』(大正4年/1915年)は天細女命を祀るとしつつ、御曾伎ノ神(みそぎ)の瀬織津媛神・速開津媛神・氣吹戸主神・速佐須良媛神とも、住吉神ともいい、詳らかではないとする。
 アメノウズメは、アマテラスが天の岩戸に隠れて出てこなくなったとき、踊りを踊って(裸踊りだったとも)アマテラスが出てくるのに一役買ったとされる神だ。ニニギの天孫降臨に従ってサルタヒコと出会い、伊勢でサルタヒコの妻となったともされる。
 神の前で踊るとか芸能の神といった面はあるにしても、祓いの神というのは少し違う気がする。
 ここで最もふさわしいのは瀬織津比売(せおりつひめ)じゃないだろうか。もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流すのがセオリツヒメの役割だ。
 いずれにしてもここでは女神がふさわしい。鈴の宮というくらいだから、鈴を振って祓いをしていたのではないだろうか。古代から鈴の音には神を招く働きと邪気を祓う力があると信じられてきた。拝殿の上に吊られた鈴や、巫女舞いのときの神楽鈴などにその名残が見られる。

 毎年7月31日に茅の輪くぐり(ちのわくぐり)が行われている。訪れた人は手に祓芦(はらえよし)を持ち、茅の輪をくぐって身の穢れを祓い、無病息災を願う。
『尾張名所図会』はこんなふうに書いている。
「六月晦日(つごもり)の夏越の祓は大宮の祭なるが、此社の川岸にて修する故、人々當社の祭事の如くおもへり。則熱田社人一統爰に出でて茅の輪を飾り、五串に五色の弊をさし、各汀の蘆の葉に白木綿をつけて解除す。奇観にして、見物するもの羣(ぐん)をなせり。又此夜傳馬町宿・今道等の家々には、数多の作物をなして大なる賑合なり」
 本来は熱田社の祭礼なのだけど、この社の川辺で行うのでここの祭りだと思っている人が多いと言っている。見物人が大勢訪れたようだ。
 現在の鈴之御前社は熱田神宮web)の境外末社で、熱田神宮の神職が祭祀を執り行っている。

 かつては精進川のほとりにあったからこそ祓所となり得たわけだけど、精進川は人工の新堀川となり、その川からも離れた場所に移されてしまっては、この社本来の役割は果たせなくなってしまったかもしれない。鈴之御前社を熱田神宮の祓所と認識している人は少ないだろう。
 にもかかわらず、今も清浄な空間を保ち続けているのはかなりすごいことではないか。この神の力が強いのか、守り続けてきた人々の思いゆえなのか。
 ぜひ一度足を運んでもらいたい社だ。

 

作成日 2017.8.19(最終更新日 2021.3.6)

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