八劔社(星﨑)

正統派二枚目のようなキリッとした神社

八劔社拝殿

読み方 はっけん-しゃ
所在地 名古屋市熱田区一番2-27-9 地図
創建年 1813年(江戸時代後期)
社格等 村社・十二等級
祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

アクセス

・地下鉄名港線「六番町駅」から徒歩約17分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 熱田区は熱田神宮のお膝元ということで熱田神宮から勧請した神社がたくさんあるかと思いきや、これが意外に少ない。熱田社が2社、八劔社が1社しかない。それは名古屋市全体にも言えることで、熱田関連神社はたくさんあっても直接の分社のような神社は多くない。これは熱田神宮を考える上でちょっとしたヒントになるかもしれない。
 八劔社は熱田神宮の別宮・八剣宮から勧請されたものだろう。熱田の八剣宮ももともとは八劔という字を使っていたと思うのだけど、現在は八剣の表記になっている。八剣宮から勧請したところが本来の八劔を使っているところが多い。大森八劔神社(やつるぎじんじゃ)や天白区野並の八劔社(はっけんしゃ)などもそうだ。
 熱田神宮の八剣宮とは何かということ、これが難しい問題で、なかなか正体は見せてくれない。
 天智天皇時代の668年に新羅の僧・道行によって草薙剣が盗まれ、嵐にあって出航できずに捕まり、取り返したもののそのまま宮中に置かれることになり、代わりの剣を造ったか宮中から送られたかで、それを祀るために建てたのが八劔宮(当初は八劔神社)とされている。
 この話を全面的に信じていいのかどうかが迷うところだ。公式見解では、新剣を造らせたのは元明天皇で708年のこととしている。しかし、686年に天武天皇が病気になり、占ったところ宮中にある草薙剣の祟りということになって草薙剣は熱田神宮に戻されている。にもかかわらず、708年に新剣を造る必要があっただろうか。
 個人的には剣が盗まれた668年から戻ってくる686年までの間に新剣を祀るための社を建てたのが八劔社だと思っているのだけど、その場合も、草薙剣が戻ってきたのなら代わりに造った新剣はあまり意味がなくなるように思う。しかし、八劔神社はその後も本社同様大事にされ、『延喜式』にも載っている。
 本来、熱田神宮と八剣宮は別々の神社だったのかもしれない。
 そのあたりについては、八剣宮のページにあらためて書くことにしたい。

 熱田一番にある八劔社の創建は江戸時代後期の1813年のこととされている。
 江戸時代前期の1646年。尾張藩初代藩主の徳川義直は、石高を増やすために熱田新田の開発に乗り出した。
 熱田神宮がある熱田台地より南西部は、江戸時代前半はまだ海だった。熱田の湊から桑名までは船で渡していたことからもそれが分かる。
 熱田区、港区、中川区にある一番とか六番とか十一番とかいう町名が気になっていたという人がけっこういるかもしれない。これは熱田新田の区割りが元になっている。
 遠浅だった海を大がかりに埋め立てて田んぼとし、一番から三十三番まで区割りをした。何々番町はそのときの名残で、熱田区一番が最初に作られた新田ということになる。
 三十三の区割りには西国三十三ヶ所にならって観音を祀った。今でもその一部は残っている。

 この八劔社はそういう土地に創建された神社だったわけだけど、何故1813年だったのだろう。遅すぎないだろうか。
 熱田新田は1649年に完成している。藩主導のものだったから入植者も多かったはずだ。にもかかわらず160年以上も神社なしで村人たちは過ごしていたのだろうか。観音様があればそれ充分と思ったのか、ここ以外に別の神社があったのか。
 新田では土地の神やアマテラスを祀る神明社が定番で、八劔社は例外だ。土地柄を考慮したとしても田んぼと剣の神の組み合わせはしっくりこない。
 1800年代になってもはやここは田んぼだけの村という性格ではなくなっていたのかもしれない。
 それにしても、あえて八劔社を勧請したのはどういう理由だったのかが気になるところだ。よく分からないとしか言いようがない。

 祭神はヤマトタケルになっている。けど、八剣宮でヤマトタケルは祀っていない。八剣宮は本社の熱田神宮と同じ神を祀るとしている。それは熱田大神だ。熱田大神は草薙剣のことで、ヤマトタケルは剣の一時的な所有者に過ぎず、熱田の社を建てたのは尾張氏で、尾張氏から見てヤマトタケルは言うなれば入り婿のようなものだ。それも一時的な滞在で、熱田を後にしている。伊吹山の神に負けたヤマトタケルは熱田に戻らず、故郷の大和に戻ろうとして鈴鹿で力尽きた。
 熱田神宮にとって大事なのは草薙剣であって、ヤマトタケルではない。
 ただ、ヤマトタケルを祀ろうと考えたとき、当時の人たちははたと立ち止まって考えてしまったのではないか。ヤマトタケルをどこの神社から勧請すればいいのだろう、と。
 ヤマトタケルを主祭神として祀る神社は意外とない。ゆかりの地である滋賀県大津市の建部大社や大阪堺市の大鳥神社などがあるものの、それらの神社は尾張とは縁がない。
 となると、熱田本社が違うとなれば八剣宮しかないかと考えたとしても無理はない。
 問題は、平安期以降の人たちが八剣宮をどういう神社として捉え、どういう神を祀っていると考えていたかということだ。現在の私たちの感覚とはまったく違うものだった可能性が高く、そこが八剣宮に対する理解を難しくしている。
 中川区にも八劔社が2社あるようだから、そちらをめぐるとあらたなヒントが得られるかもしれない。

 八劔社の神社としての印象はよかった。開放的なのに落ち着くという、ちょっと不思議な感じもあった。気持ちのいい日本庭園にいるような気分とでもいおうか。
 男性的か女性的かといえばやはり男性的だけど、八幡社のような雄々しさではなく、もう少しシャープでキリッとした感じだ。シュッとした二枚目のような神社といった印象が残った。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

真面目でいい神社、熱田一番の八劔社

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