村上神社

石が去り熱田さんが来た

村上神社

読み方 むらかみ-じんじゃ
所在地 名古屋市瑞穂区村上町2丁目3-2 地図
創建年 明治初め
社格等 十五等級
祭神 熱田大神(あつたおおかみ)
アクセス

・地下鉄桜通線「瑞穂区役所駅」から徒歩約9分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 おどり山古墳の頂上に鎮座する神社。
 もともとこの場所には石を祀る眞好社があり、明治2年(1869年)に眞好社(地図)が移されることになり、その跡地に建てたのがこの村上神社だ。
 住人たちが熱田神宮から勧請して熱田大神を祀り、熱田社と称していた。
 現在の社名になったのは戦後のことで、この場所が村上町だったことから来ている。村上天皇とは関係がない。
 村上の地名は、江戸時代前中期の1666年に、尾張藩士の村上治兵衛が開墾したことで村上新田と呼ばれたことに由来する。
 その後、集落の人口が増えたことも眞好社を別の場所に移した理由のひとつだったかもしれない。西の眞好社と東の熱田社(村上神社)で上手く棲み分けができたようだ。
 そのあたりのいきさつについて『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「明治初年眞好社を瑞穂区瑞穂通四丁目3-4番地に移す その跡地に飛地境内神社『熱田社』と称して祭祀を存続していた。近時氏子世帯急増し、氏子区域の西端に眞好社。東端に熱田社と自然崇敬者二分せらる 今回熱田社を町名による村上神社と改称する。昭和39年8月『宗教法人村上神社』として認証された。昭和48年本殿改築現在に至る」
 つまりここは、眞好社の飛地境内という扱いになっているようだ。
 眞好社は昭和58年(1983年)に菅原道真を祀る眞好天神社と改称した。

 おどり山古墳でいつ頃から石を祀っていたのかは分からない。江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)には確かにあったようだ。
 もともと誰がどういう神を祀っていたのかも不明となっている。古墳にまつわるものなのか、石にまつわる民間信仰なのか。
 おどり山古墳は5世紀後半に築造されたと考えられており、高さ約3.6メートル、直系約40メートルの円墳だ。
 熱田社を造営する際に周囲をごっそり削ってしまったため、原形はとどめていない。ただし、瑞穂区内に現存する古墳はあまり多くないため、これでも貴重なものとなっている。
 ここは瑞穂台地の東の縁に近く、東側を川名川(今の山崎川)が流れている。瑞穂遺跡と呼ばれる弥生時代の大きな集落も見つかっており、古くから人が暮らしていた土地だということが分かっている。
 古墳を築いた勢力がどういう人たちだったのかはよく分からない。熱田神宮のある熱田台地とは精進川(今の新堀川)によって隔てられているものの、距離としては近い関係にある。
 熱田台地は名古屋の歴史を語る上で最も重要な場所だけど、瑞穂台地もまた興味深い。その南にはあゆち潟でを挟んで松巨島(まつこじま)と呼ばれた笠寺台地もある。

 神社は古墳の上にあるということで、社殿の前までいくとけっこう高さがあり、周辺を見渡すことができる。社殿の周囲がぐるりと空というのはちょっと不思議な感覚だ。
 切られた木が何本かあったから、かつてはもう少しこんもり茂った小さな林のようになっていたかもしれない。
 それにしても、古墳の上で石を祀る眞好社が移っていって、その跡地に祀る神をどうして熱田の神としたのだろう。明治初年の熱田社はどうなっていたのか。このあたりの住人たちにとって篤い信仰の対象だったのだろうか。
 古墳と熱田社は関係がなさそうだし、おどり山古墳の被葬者は尾張氏ではないだろうから、ちょっとしっくりこないものも感じる。
 本社の左右にある小さな社については調べがつかなかった。定石でいうと津島社と秋葉社ということになる。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

村上町にあるから村上神社、元は熱田社

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