豊郷神社

大正末から昭和初期にかけての経緯がちょっと分からない

豊郷神社

読み方 ほうごう-じんじゃ
所在地 名古屋市南区内田橋1丁目18-11 地図
創建年 1925年(大正14年)
社格等 不明
祭神 熱田大神(あつたおおみかみ)
アクセス 名鉄常滑線「豊田本町駅」から徒歩約7分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 熱田の新堀川を挟んだ南一帯は江戸時代に干拓によって作られた土地で、豊と付く町名が多い。もともとは豊田(とよだ)という地名があり、そこから派生している。
 神社がある内田橋1丁目2丁目は、昭和60年に豊門町(ほうもんちょう)や豊郷町(ほうごうちょう)などの各一部により成立した。
 豊郷神社も、少し北にある豊門神社も旧町名から名前が来ている。
 江戸時代は、長三郎新田、紀左衛門新田があった場所に当たる。
 少し南の紀左衛門神社は新田の名前がそのまま取られて残った例だ。

 明治38年(1905)年から明治43年(1910年)にかけて精進川の掘り広げ工事が行われた。今の新堀川がそれだ。
 明治45年(1912年)に内田橋が架かると、南知多方面からの名古屋の玄関口となり、道路沿いに民家や飲食店が建ち、昭和初期にかけて賑わいをみせた。
 豊郷神社の創建は大正14年(1925年)と『南区の神社を巡る』は書いている。
 最初は現在の神社の300メートルほど南に小さな祠を建てて祀ったのが始まりのようだ。
 祭神は熱田大神というから熱田神宮(web)から勧請したのだろうけど、最初からそうだったかどうかは何ともいえない。
 昭和初期に区画整理が行われ、宅地造成のときに池ができて、その土地の大地主だった村瀬氏の屋号が丁字屋だったため、丁字屋の池と呼ばれていたという。紀左衛門神社の東あたりだ。
今昔マップ on the web」というサイトがあり、古地図と現在の地図を並べて見ることができるのでそれを見てみる。
 昭和7年(1932年)の地図には確かに池が描かれており、昭和12年(1937年)の地図にはそれがない。池があった場所の西に明治小学校ができており(昭和11年開校)、道路が通って宅地化されている。
 豊郷神社はどの年代の地図にも描かれていない。
 このあたりの前後関係がよく分からないのだけど、鳥居には昭和15年5月建立とあることから、この年に現在地に移された可能性はある。あるいは、旧地に建てられたものをもう少し遅い時期に現在地に移したのかもしれない。
 現在の神社があるのは、かつての長三郎新田の堤防があった場所の西に当たる。

 境内には「荻田昌興翁頌徳之碑」が建っている。
 頌徳(しょうとく)というのは徳をたたえることなのだけど、荻田昌興というのがどういう人物なのは調べがつかなかった。神社の創建に貢献した人物らしい。

 青木稲荷は、昭和30年(1955)に新社殿を造営したとき、住民が京都伏見の青木稲荷を勧請して建てたものだそうだ。
 青木稲荷は伏見の稲荷山の二ノ峰にあり中之社と呼ばれている。
 佐田彦大神を祀っており、これは猿田彦のこととされている。
 伏見稲荷大社(web)は稲荷山全域にたくさんの社があり、一日では全部回りきれないほどだという。写真でしか見たことがないのだけど、かなりディープな世界観のようだ。一般の参拝者は千本鳥居を見るくらいで満足して帰っていくのだと思う。すべてを見て回るためには一泊二日で山歩きの覚悟が必要か。
 伏見稲荷大社の本社からではなく、あえて青木稲荷から勧請したということは、そこに思い入れのある人がいたのだろう。
 境内社として稲荷社はたくさんあるけど、青木稲荷から勧請したというのは名古屋市内では少ないんじゃないだろうか。
 新栄の八王子社に青木神社というのがあって正体が謎なのだけど、ひょっとすると青木稲荷と関係があるのか。
 千本鳥居とはいかないまでも三十本鳥居くらいあって、なかなか雰囲気がいいので、豊郷神社を訪れた際には青木稲荷も参拝しておくとよさそうだ。

 わりと大きめの規模の神社でありながら、神社庁への登録はなく、『南区神社名鑑』にも載っていないので、詳しい経緯は分からない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

豊郷神社創建は何故大正14年だったのか

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