不明社(津賀田町3丁目)

名前も分からない津賀田町の小社

不明社(津賀田町3丁目)

読み方 ふめい-しゃ(つがた-ちょう)
所在地 名古屋市瑞穂区津賀田町3丁目 地図
創建年 不明
社格等 不明
祭神 不明
アクセス

・地下鉄桜通線「瑞穂運動場西駅」から徒歩約7分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度  

 名前のない神社はないけど、名前の分からない神社はある。
 街角にある祠と神社を区別するひとつの基準に鳥居の存在がある。鳥居を持たない中規模の神社も稀にあるけど、小規模の社を祠とするか神社とするかを決めるとき、鳥居があればそれは神社ということにしている。
 名前の分からない神社をこのサイトではどう扱えばいいのかずっと考えてきた。不明社として1ページにまとめて載せるのもひとつの手なのだけど、その中でも独立させて紹介したいと思えばそうするのがいいだろうというのが今のところの考え方だ。
 名前不明のままでも載せておけば、知っている人が見て教えてくれるかもしれない。

 この神社は、津賀田神社地図)にほど近い津賀田町3丁目にある。津賀田神社の東170メートルほどのところだ。
 すぐ北に天聖寺(地図)というお寺があり、このお寺と関係がありそうな気もするのだけど、はっきりしたことは分からない。
 神社名を知るための手がかりは境内にはほとんどない。唯一、本社横にある石碑が手がかりということになるだろうか。
 それは「主山大権現」と彫られているように見える。ただ、主山大権現というのは聞いたことがない。「主」ではなく「立」かもしれない。だとしたら立山大権現だ。
 ただ、名古屋では立山権現信仰はあまり流行らなかったようで、他では見たことがないように思う。
 社は中央に大きめのものがあり、向かって右がやや大きめで、左が小さい。この並びは屋根神様系統の熱田社、津島社、秋葉社のパターンが多い。
 鳥居は神明造系で、社殿は千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)を持たない流造になっている。
 ネット情報では山神社としているところもあるけど、はっきりしたことは言えないので、不明とするしかない。

 天聖寺(てんしょうじ)は江戸時代中期の寛永元年(1704年)に、熱田の圓通寺首座、然了存廊和尚が観音堂を建立したことに始まるとされる。
 享保2年(1717年)、圓通寺10世・密山以傳大和尚を開山として亀獄山瑞巌寺を開いた。
 寛政9年(1797年)に寺格が上がったことによって寺名を天聖寺と改めた。
 圓通寺は三尺坊大権現が修業した寺ということで、秋葉信仰との関係も深い。
 この神社がもともと天聖寺にあって明治以降に寺の外に出されたとしたら秋葉社の可能性がある。
 天聖寺とまったく無関係とすると、いよいよ予測はつかないということになる。

 津賀田地区は遺跡や古墳が多い所で、多くは失われてしまったものの、津賀田古墳などは残っている。
 津賀田古墳は、墳丘の直径12メートル、高さ3メートルの円墳で、発掘された須恵器などから築造は6世紀前半と考えられている。
 江戸時代までは鎧塚、冑塚、大塚などがあったとされ、絵図にも描かれている。そのうち、津賀田古墳は剣塚に当たるのではないかという説もある。
 姫塚、為丸塚などが現存している。
 これだけ塚(墓)の多い土地柄ということを考えると、この神社はそれらの塚に関係する神社という可能性も考えられる。

 今のところ分かるのはこれくらいで、継続調査としつつ、何か分かったら書き足すことにしたい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

君の名はなんというのか津賀田町不明社

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