戸田消防団詰所の隣にある小さな社。名前を記したものはどこにもなく、どんな神を祀っているのかを知る手がかりも見つけられなかった。 消防団の隣なら火防せの神であるカグツチを祀る秋葉社がふさわしいけど、このあたりは戸田の中心地で寺院が集まっている場所だから、もしかするとそちらの関係社かもしれない。 神社の西には浄賢寺、太平寺、西照寺、法然寺、寶泉寺があり、戸田川を挟んだ東には浄栄寺がある。 江戸時代の戸田村は5つの番割に分けられ、それぞれの氏神として八幡社、天神社、鈴宮社、白山社、 神明社を祀っていた。それらを総称して戸田五社と呼んでいる。 平安時代末に成立した富田荘があった地区で、この寺院密集地区がその中心だったようだ。 戸田(とだ)は富田(とみだ)が略されたものというのが一般的な説となっている。 神社がある通りは戸田を南北に流れる戸田川と平行しており、ここがかつてのメインの通りだったのだろう。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)から江戸時代後期から続く村の様子が見てとれる。 戸田は尾張一の米どころで、戸田米というブランド米だった。供米田という地名は米を供していたことから名付けられたとされる。 その他、桑や漆などを育てるために田を与えることを戸田といい、そこから来ているという説や、湿地のことを土田といいそこから転じたという説を『なごやの町名』では紹介している。 戸田は醸造業が盛んな地でもあった。醸造に適した良質な米が穫れ、木曽川水系の豊富な伏流水に恵まれ、ここで作った酒やみりんを戸田川を使って運んでいた。 創業1771年の常盤醸造やみりんの糀富、末廣味醂醸造などが今も続いている。 神社の並びにある飴松なども昔からの和菓子屋で、古い歴史を物語っている。
このように地域の歴史を紐解いてみると、名前も分からない小さな社がいわくありげで重要な社に思えてくる。実際にそうかもしれないし違うかもしれない。昭和になって建てられた秋葉社かもしれない。 社名も祭神も分からないからあれこれ思いを巡らせて楽しむことができるということはあるのだけど、やはり名前くらいは書いておいて欲しいと思う。通りすがりとはいえ社を参拝するときに相手が誰か分からないと挨拶にも困るから。
作成日 2018.1.23(最終更新日 2019.7.16)
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