濱鶴ノ宮神社

かつて鶴がいた場所

濱鶴ノ宮神社

読み方 はまつるのみや-じんじゃ
所在地 名古屋市南区浜田町4丁目62 地図
創建年 1954年(昭和29年)
旧社格・等級等 不明
祭神 熱田大神(あつたおおかみ)
アクセス JR東海道本線「笠寺駅」から徒歩約20分
駐車場 なし
その他 例祭 10月第2日曜日
オススメ度

 神社の西にある名古屋港までは直線距離でも3キロ以上離れているし、ここは浜辺ではなく、ましてや鶴が飛んでくるような場所でもない。なのに濱鶴ノ宮とはどういうことか。
 濱という旧字体を使っているから歴史のある神社かと思いきや、創建は昭和29年(1954年)とごく新しい。
 戦後復興の中で農地が広がっていたこのあたりも住宅地となり、住む人が増えたので神社を建てようということになって建てられたのがこの濱鶴ノ宮神社だ。
 神社がある浜田町は昭和25年(1950年)に星﨑町の一部より成立している。町名はかつて浜辺に作られた新田があったことから来ている。
 神社は児童公園の一角にあり、隣には田鶴公民館がある。
 最初から公園神社として建てられたのか、後から公園になったのか、そのあたりの経緯はよく分からない。
 田鶴という地名は今はなく、これも調べがつかなかった。浜田町の田鶴という地区にあるから濱鶴ノ宮と名づけたと考えていいだろうか。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社がある場所は当時まだ田んぼが広がっていたことが分かる。少し北にポツポツ家がある。
 戦中まではほとんど変わらず、戦後の1947年の地図では細長い建物が8棟並んでいる。近くの工場の社宅なのか、住宅なのか。
 1959-1960年の地図では区画整理されて住宅地になっているのが見てとれる。このときはもう神社が建っている。
 1968-1973年の地図を見ると、すでに今と変わらない町並みができあがっている。 

『南区の神社を巡る』では祭神を熱田大神としている。
 それが正しければ、熱田神宮(web)から勧請したということだろう。
 相殿に津島と秋葉も祀っているという。これは名古屋の屋根神様の典型的なパターンだ。町内神社もこれに準じているものが多い。

 現代の名古屋と鶴は結びつかないけれど、かつての名古屋には多くの鶴が飛来していた。
『万葉集』に収められた高市黒人の「桜田へ 鶴なきわたる 年魚市潟 潮干にけらし 鶴なきわたる」は、そんな光景を歌ったものだ。
 南区の桜、星﨑の西は年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる干潟で、干潟は潮が引くと海底が表れて生物が出てくるからそれを鳥たちは食べていた。
 この歌は、年魚市潟の方に鶴が鳴きながら飛んでいくからどうやら潮が引いたらしいといった意味だ。潮が引いて道が出現すると、旅人は干潮の間に歩いて熱田方面に渡っていた。
 鶴舞の地名も、浜辺で多く鶴がいたことに由来するという説がある。南区には鶴里という地名もある。
 濱鶴ノ宮神社は、そんなかつての光景を未来に伝えるために名づけられたものなのだろう。

 

作成日 2018.2.22(最終更新日 2019.8.19)

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