榊森白山社

金山が森だらけだった頃からある白山社

榊森白山社

読み方 さかきもり-はくさん-しゃ
所在地 名古屋市中区金山1丁目23号 地図
創建年 886年(平安時代前中期/717年とも)
社格等 村社・十三等級
祭神 菊理媛神(くくりひめのかみ/白山比咩命)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
大己貴神(おおなむちのかみ)
 アクセス

・名鉄/JR/地下鉄「金山駅」から徒歩約6分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 金山総合駅の少し北にある白山社。創建は平安時代、もしくは奈良時代まで遡るという。
 金山は南の熱田と北の大須の間で、熱田台地の中央やや南寄りに位置する。ここも長い歴史を持つ古い土地だ。
 金山駅周辺では、縄文時代から奈良時代に至るまでの遺跡や遺物が多く見つかっている。尾張最古の寺ともいわれる尾張元興寺が建てられたのも金山だったことを考えても、ここは尾張国における重要な土地のひとつだったといえそうだ。

 白山社の創建について『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「榊ノ森白山比咩神社・洲原神社・松尾神社とも称した。仁和二年(886)九月三十日加賀国白山比咩神社より吾湯市邑の住人福岡国猶が勧請し創建すと伝う」
 吾湯市邑(あゆちむら)というのは熱田にあった村で、その住人である福岡国猶という人物が加賀国白山比咩神社から勧請してこの場所(後の古渡村)に白山社を建てたということらしい。
 この福岡国猶というのがどういう人物なのかは伝わっておらず、詳しいことは分からない。平安時代に一般人が神社を創建できたのかどうか。神職だったとも考えられるけど、住人となるとそうではなかったのか。
 江戸時代の『尾張志』には「神主 福岡氏」と書かれているから、代々福岡家がこの神社を守っていたということのようだ。
 神社由緒によれば、創始を養老元年(716年)としているけど、奈良時代初期というのはどうだろう。本家の白山比咩神社ですら社殿が初めて造営されたのは霊亀2年(716年)としているのに、それより前ということはちょっと考えにくい。
 細かいことをいうと、『愛知縣神社名鑑』は創建を仁和二年(886年)としているのに対して、神社由緒と『尾張志』は仁和三年(887年)としている。

 少し気になるのは祭神の組み合わせだ。
 白山の神として菊理媛神(ククリヒメ)=白山比咩命(シラヤマヒメ)はいいとして、イザナギ(伊邪那岐命)とオオナムチ(大己貴神)も合わせて祀られているのはどういうことなのか。
 本家の白山比咩神社は、シラヤマヒメとイザナギ・イザナミを祀っていてオオナムチは入っていない。
 オオナムチは大国主(オオクニヌシ)のこととされる。オオクニヌシというと仏教系の白山社である霊応山平泉寺が関係しているだろうか。
 平泉寺は明治の神仏分離令で平泉寺白山神社となり、本殿でイザナミを、別山社に天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)、越南知社(おおなむちしゃ)にオオナムチ(大己貴尊)を祀っている。
 榊森白山社が最初からこの組み合わせだったのか途中からそうなったのかは分からない。江戸時代にはすでにそうだったようで、『尾張志』も「中央正殿は祭神菊理媛神左右二座は伊弉諾尊大己貴命を祭るといへり」と書いている。
 もしかするとかつて摂社としてあった洲原神社が関係しているかもしれない。
 洲原神社は岐阜県武儀郡(美濃市須原)にある神社で、白山信仰と関係が深い。長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)の前宮とされ、中央にイザナギ、東西にイザナミ、オオナムチを祀っている。
 どこかの時点で洲原社を合祀して、本社でオオナムチを祀るとしているのだろうか。
 摂社の松尾神社について『愛知県神社名鑑』は、「松尾神社というは伝馬町の酒造家福沢屋邸内にありしを白山の境内に移り祀る酒造家の崇敬あつく勢いは本社を凌ぐ有様なりと」と書いている。
 松尾神社の総本社は京都の嵐山にある松尾大社で、祭神の大山咋神(オオヤマクイ)は酒造りの神としても信仰が篤い。
 榊森白山社は、一時期白山社よりも松尾社として通っていたときがあったようだ。

 榊森(さかきもり)の通称は、このあたりに榊の木がたくさんあって、熱田神宮東照宮の祭祀に使う榊を納めていたことから名付けられたという。
『尾張志』もそのあたりのことを書いている。
「此地に榊木いとおほかりしより賢木の杜といひならはせりとそいう熱田諸祭の日毎に此森の榊をとり用いへるよしもいひ伝えたり故に熱田社参の人まづ此森にて解除したるよしもいへり今は此所より榊を熱田神宮に取用ゆる事」
 北方面から熱田神宮へ参るときは、白山社のある榊の森で身を祓い清めてから行く習わしがあったようだ。東からの場合は鈴之宮前社など、東西南北それぞれ定められていたという。
『尾張名所図会』にはこんなことが書かれている。
「此外古渡に鶯の森(うぐいすのもり)、盗人の森(ぬすびとのもり)、直會の森(なおらいのもり)などありしよしなれど、今は其所しれがたし」
 とにかく江戸時代はこのあたりが森だらけだったことが分かる。
 藤原景清がこの森に屋敷を構えて隠れ住んでいたという伝承も残っている。
 熱田区神戸町の景清社も、景清伝説の残る場所のひとつとされている。

 もともとは別の場所にあって、第二次大戦の空襲で焼けて、御旅所だった現在地に移されたという話があるのだけど、裏付けが取れなかった。元の場所はどこだったのか。
 移ってくる前の場所が榊森と呼ばれていたとすれば、ここではないということだ。神社の北に霊山寺があり、その南東あたりが直會の森だったという話もある。そこに景清屋敷があったともいう。
 霊山寺は江戸時代に現在地に移されたということなので、白山社との関係はなさそうだ。

 境内社のひとつに華能宮(かのうぐう)という社がある。説明書きにこうある。
「世界唯一の縁結びの神様です。前世敵の因縁であった人でもお願いして結ばれし方は、普通の夫婦より倍の幸福が得られます。縁遠い人、意中の方がまだ現れない人、幸福な家庭を求められる方はお祈願下さい。必ず幸せが開けます」
 どんな神を祀るどんな社なのかは分からないけど、とにかく自信満々だということは伝わってくる。これだけ言い切ってもらった方が気持ちがいい。効果があるかどうかは私が身をもって確かめたいと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

金山にもう森はないけど榊森白山社

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