昭和区北西部、鶴舞公園の東に小さな社が集まっているエリアがあって、それが南北に等間隔のように並んでいる。あえてこういう配置にしたわけではないのだろうけど、ちょっと面白い。あるいは意図的にそうしたのか。 これらの社は屋根神様を降ろしたものと、町内で祀ったものと、御器所八幡宮の分社と、3種類に分けられるようだ。小桜社は御器所八幡宮の分社に当たる。社号標に「御器所八幡宮摂社小桜社」とあるので分かりやすい。 他に緑町と鶴羽町の小社も御器所八幡宮分社とのことだ。北山八幡社も名前からしてそうではないかと思う。
分社として祀ったのは昭和初期という話で、このあたりの地区が宅地化されて家が増えた時期と重なっている。 社の西南にある桜花学園高校(web)は大正12年(1923年)に桜花高等女学校として開校しているから、それも住宅が増えた一因だろう。 今昔マップの明治から大正にかけての地図を見ると、昭和初期までここは未開の地だったようだ。標高が13メートルくらいあるので丘陵地だったのだろう。 少し西にある八幡山古墳(地図)は5世紀中頃に築かれた80メートルを超える円墳で、かつてはすぐ南まで入り海だった。 御器所というのも古い歴史のある土地で、ここらの町の下には知られざる遺跡も眠っているのではないかと想像する。
小桜社の名前は小桜町(こさくらちょう)から来ている。昭和8年(1933年)に御器所町と広路町の各一部より成立した。 昭和初期までは丸池という用水池があって、そこを埋め立てた部分が一部町になっている。 御器所八幡宮分社を祀ったのが昭和8年の前だったのか後だったのかは分からない。 境内に「国威宣場」「皇紀二千六百年」の石柱がある。昭和15年(1940年)に建てられたものだ。なので、これより以前ということは間違いない。
その他、詳しいことは不明。 小規模ながら鳥居も社号標も灯籠もあって、神社としての体裁が整っている。 おそらく小桜町の町内で祀っていて、例祭日には御器所八幡宮から宮司を呼んで祭礼を行っているのだろう。 町内で建てて町内で守っている神社というのも温もりがあっていい。血が通っている感じがする。
作成日 2018.9.9(最終更新日 2019.3.20)
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