神明社(荒子)

荒子観音と一体化した神仏習合の名残

荒子神明社

読み方 しんめい-しゃ(あらこ)
所在地 名古屋市中川区荒子町字宮窓134番 地図
創建年 不明(1812年とも)
社格等 村社・十二等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 アクセス

・地下鉄東山線「高畑駅」から徒歩約11分
・あおなみ線「荒子駅」から徒歩約12分
・駐車場 あり(荒子観音のものが無料)

webサイト  
オススメ度

 荒子観音の隣というか、仕切りがあってないようなものだから敷地内にあるといっていい神明社。この位置関係からして荒子観音と無関係なはずがない。
『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではないが文化九年(1812)11月9日、荒子観音寺の守護神として鎮祭、天保二年(1831)社殿を改修する。明治に制度改革により分離、明治5年7月村社に列格した」
 神仏習合の江戸時代は、寺の中に社があるのが普通で、それが神明社だった例も少なくない。
 ただ、1812年というのはちょっと遅すぎないだろうかとは思う。
 荒子観音は奈良時代前期の729年(天平元年)に建てられたとされる古刹だ。
 江戸時代中期の1727年(享保12年)に、1キロほど北西の高畑から現在地に移ったとされる。
 そこから100年以上寺に鎮守社がなかったとは考えにくい。
 移築の事情がよく分からないのだけど、鎮守社自体は移築前からあったと考えた方が自然だ。
 この神明社も移築と同時期くらいに創建されたと考えていいのではないか。神社側に1812年創建という記録が残っているのなら、それが事実なのだろうけど。

 荒子観音寺(あらこかんのんじ)は、正式名を浄海山圓龍院観音寺(じょうかいざんえんりゅういんかんのんじ)という天台宗の寺だ。荒子にある観音寺ということで、もっぱら荒子観音と呼ばれている。
 729年に泰澄が開いて、741年に泰澄の弟子の自性が堂宇を整えたと寺伝はいう。
 泰澄は白山を開いた修験の人で、各地を回って寺を開いたという伝説が残っている。
 荒子観音の本尊である聖観世音菩薩は泰澄作と伝わるもので、秘仏になっており、33年に一度公開される。
 ただ、これらの話は江戸時代の終わりに書かれた『浄海雑記』によるものなので、どこまで信憑性があるのかは分からない。
 一時は十二坊を持つ大寺院となったものの、その後、戦乱に巻き込まれるなどして衰退。
 戦国時代の永禄年間(1558-1570年)に、尾張における天台宗の一大学問所となっていた密蔵院(春日井市)に属して、全運上人が再興したとされる。
 荒子城主だった前田利家も修造している。
 しかし、豊臣秀吉による太閤検地によって土地を取り上げられて再び衰退。
 江戸時代に入ると尾張徳川家藩主の義直が庇護したことで盛り返し、尾張四観音のひとつに数えられるようになった。
 円空仏を1200体以上所持する寺としても知られている。
 円空(1632-1695年)は美濃国(中島郡中村とも)の生まれとされ、生涯に12万体の仏像を彫ったとされ、現在までに5,300体ほどが見つかっている。特に愛知県、岐阜県に多い。
 わりと最近、隣接する神明社の中からも円空仏が見つかり、ニュースで報じられていた。
 仁王門の仁王像二体も円空の作とされる他、円空仏は毎月第2土曜日(13時-16時)に拝観することができる。

 余談なのだけど、本堂の左手にある仏像ルームが最高にカッコイイことになっているので荒子観音を訪れた際はぜひ見て欲しい。
 中央に炎を背負った青い不動明王と、秋葉権現がいて、その前にフルカラー着色の二十八部衆が隊列を組んで立っているのだ。
 それぞれの像は小さいのだけど、完全に仏像フィギュアコレクション・ルームの様相を呈している。
 ガチャガチャの仏像フィギュアを集めている私としては、この部屋丸ごと欲しいと本気で思った。
 仏像はフィギュアだと最初に言ったのがみうらじゅんかどうかは知らないけど、仏像コレクターの気持ちは分かる。仏像というのは、一体手に入れると次から次へと欲しくなる中毒性がある。戦国武将も小さな仏像を持ち歩いていたというけど、あれは身を守るためというだけでなく愛でるという側面もあったのではないか。

 ひとつ気になる謎が、祭神としてタケミカヅチ(武甕槌命)を祀っている点だ。
 鹿島神宮の神として知られるタケミカヅチだけど、名古屋でタケミカヅチを祀る神社は少ない。
 イザナギがカグツチを斬り殺した際に十束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」についた血が岩に飛び散って生まれた神とされる。
 アマテラスによって地上に使わされ、オオクニヌシに国譲りを迫ったのがタケミカヅチだ。オオクニヌシの子であるタケミナカタ(建御名方神)が抵抗したため、タケミナカタをやっつけて国譲りがなったと『古事記』は書いている(『日本書紀』にはタケミナカタとの力比べの話は出てこない)。
 いつどういういきさつで荒子観音の神明社にタケミカヅチを祀るようになったのだろうか。そのあたりの情報がまったくないため、よく分からない。
 単純に、近くにあった鹿島社を明治以降に合祀しただけかもしれない。

 神明社の本社は覆殿というのか覆屋といったもので囲われており、茅葺き屋根になっている。鰹木はなく、千木は女神千木だ。これは江戸時代のものだろうか。
 少し離れた北西に弁財天がある。これも荒子観音に付属するもなのか独立したものなのか分かりづらい。
 日吉大社、弁才天、白山妙理大権現とある。
 その他、堂の中に役行者像などがある。
 明治以降に神仏分離したとはいえ、今も神仏習合の名残が見られるところだ。現代人の感覚からしても、このスタイルが自然なような気もする。


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

昔も今も荒子観音とともにある荒子の神明社

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