八幡社(万場)

戦国時代前期にはすでにあったようだ

万場八幡社

読み方 はちまん-しゃ(まんば)
所在地 名古屋市中川区万場5丁目 地図
創建年 不明
社格等 無格社・十五等級
祭神 應神天皇(おうじんてんのう)
アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約40分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 名古屋高速5号万場線が通る道路沿いにある神社。もともとこの場所にあったとは思えない。250メートルほど東には同じく道沿いに天神社がある。この二社は佐屋街道に代わる新道を作ったときに動かされているのではないかと思うけどどうなんだろう。
 旧佐屋街道は現在の八幡社の少し南を通っていた。万場の渡しで庄内川を渡るとそこは万場宿で、西へ向かうと國玉神社・八剣社があり、そこで進路を北西に変えて進むというコース取りなので、天神社も八幡社も街道近くにあったのではないかと予想する。
 神社の西にある新川は、江戸時代に掘られた人工の河川だ。東を流れる庄内川がたびたび氾濫して村が水浸しになってしまうので、庄内川の水を逃がす役割で作られた。
 村人の強い希望により尾張藩も重い腰を上げて取りかかったのが江戸時代中期の1784年で、完成したのは1787年だった。
 しかし、皮肉なことに、今度は新川がたびたび溢れて被害を出すことになる。2000年の東海豪雨のときも決壊して大きな問題となった。ゆくゆくは川を閉めてしまうという話もあるけど実現するのだろうか。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。『尾張志』天神ノ社、八幡社、八劔社、三社万場村にありと、明治6年、据置公許となる」

 八劔社はのちに國玉神社とされることになる神社のことで、江戸時代は八劔社と呼ばれていた。

『寛文村々覚書』
「社弐ヶ所内 大明神 八幡 同祢宜 惣大夫持分 前々除」

 1670年にまとめられた『寛文村々覚書』には萬場村の神社は二社とある。大明神が八劔社のこととすると、天神社は記載されていない。この頃はまだなかったのか、別の理由からなのかは分からない。

『尾張徇行記』
「大明神 八幡社界内一反五畝歩前々除 府志云、八剣祠 天神祠 八幡祠倶在万場村」
 追加
「祠官溝口豊後書上帳ニ、八剣大明神社内一反前々除 末社神明社 天王社 春日社 日吉社 白山社 右本社末社勧請ノ初ハ不知、再建ハ明応三酉年也 八幡社内五畝前々除 此社勧請ノ初ハ不知、再建ハ永正八未年也」

 前々除とあるので、1608年の備前検地のときにはすでにあったことが分かる。
 創建年は分からないけど、再建は永正八年という記録があると書いている。これは1511年だから、戦国時代前期にはすでにあったと考えてよさそうだ。
 万場に城があったという話は知らないけど、室町時代にこのあたりを支配していた武将か誰かが建てたのだろうか。

 本殿は小さいながらもわりと古そうだ。拝殿はけっこう新しい。
『愛知縣神社名鑑』は本殿を板屋造としているのだけど、写真で確認すると流造のように見える。
 何故か鳥居は神明鳥居になっている。
 真新しい小さな境内社があった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

見た目よりも意外と古い万場八幡社

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