神明社(昭明町)

熱田新田十七番割の氏神

昭明町神明社

読み方 しんめい-しゃ(しょうめいちょう)
所在地 名古屋市中川区昭明町2丁目39 地図
創建年 1651年(江戸時代前期)
社格等 村社・十三等級
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 アクセス

・あおなみ線「中島駅」から徒歩約22分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 熱田新田三十三番割の中の十七番割の氏神だった神明社。
『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は慶安四年(1651年)9月16日という。『尾張志』に”神明ノ社天照大御神、素戔嗚尊、日本武尊を併せ祭るといへり十七番割の氏神也”とあり、明治5年7月、村社に列格した。氏子の崇敬あつく社殿の修復数次に亘り行う」

 尾張藩主導で熱田新田の開発が始まったのが1646年。3年後の1649年に干拓地ができて、熱田新田の完成はその2年後の1651年だった。
 この神明社の創建が1651年ということは、十七番割に集落ができると同時に建てられたということだろう。
 江戸時代後期の人たちの認識では、神明社ではありながらアマテラスだけでなくスサノオとヤマトタケルもあわせて祀っていたということのようだ。熱田社と混じっている感じがする。
 中川区は八劔社も多い土地柄で、そのあたりの影響もあっただろうか。

 昭明町になる前は、小碓町字十七番割と、十七番割の地名が残っていた。
 小碓町(おうすちょう)は、ヤマトタケルの名前である小碓命(おうすのみこと)から来ていた。
 現在は、小碓通(こうすどおり)という町名が一部残っている。
 昭明町は、昭和35年に小碓町の一部より成立した。
 昭和の昭と、神明社の明を取ってつけられた町名だ。
 熱田新田の十六番割と十七番割に当たる。

『尾張徇行記』には、「十七番割神明社内一畝六歩」とある。
 畝(せ)は三十歩で、歩(ぶ)は坪(つぼ)と同じなので、一畝は三十坪、一畝六歩とあるから境内は三十六坪ということになる。
 一坪はだいたい畳二枚分くらいなので、七十二畳くらいだ。といっても、よく分からない。
 一軒家の平均坪数が四十坪ほどというから、三十六坪は神社としては決して広くない。今よりもずっと小さかったということだ。 

 江戸時代に建てられた神社というと新しい神社に思えるけど、前期に建てられたものは350年以上の歳月が流れている。1651年といえば、関ヶ原の戦いに参加した人間が生きているくらいの年代だ。けっこうな昔といえる。
 できたての熱田新田だった時代から江戸、明治、大正、昭和を経て平成の今、このあたりも大きく様変わりした。田んぼなどどこを見渡しても見つからない。
 その間、ずっと変わらず神社がそこに在り続けたことのすごさをあらためて思うのだった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

昭明町神明社を建てたのは十七番割の人たちなのか

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