赤く塗られた鳥居と柵が目印の八大龍王社。地下鉄荒畑駅から少し南へ行ったところにある。住所でいうと御器所(ごきそ)3丁目だ。 かつてこのあたりに龍興寺ヶ池という池があった。今昔マップの明治中頃(1888-1898年)にも描かれており、現在の御器所3丁目の半分くらいは池の底だった。 埋め立てられたのは大正5年(1916年)というから、100歳を超える方が近所に健在ならひょっとしたら覚えているかもしれない。 この八大龍王社が建てられたのが、その大正5年のことだ。龍興寺ヶ池には龍が棲むという伝説があって、池がなくなると困るだろうから社を建てて祀ろうということになった。 祟りがあったという話は伝わっていないものの、大正時代でもまだどこかそういうものを畏怖する気持ちがあったようだ。
池の名前にもなった龍興寺(りゅうこうじ)は、戦国時代の1533年に佐久間盛次が建立したと伝わっている。 御器所の地は佐久間氏が支配していた土地で、御器所城主として織田家に仕えていた。 龍興寺は戦災ですべて焼けてしまい、現在の本堂は昭和53年(1978年)に東京芝白金にあった実業家の藤山雷太の迎賓館を移したものだ。愛知県の文化財に指定されている。
八大龍王は釈尊が法華経を説いたとき、他の眷属(けんぞく)と一緒に聞いた8種のナーガの王のことだ(ナーガは古代インドでは半身半蛇だったのが中国に入って龍とされた)。 難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、沙伽羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきつ)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)の八龍王で、仏法の守り神とされる。 日本で祀られる場合は、雨を司る龍神とされることが多い。龍興寺ヶ池はおそらく江戸時代に農業用の溜め池として作られたものだろうから、その池に棲む龍神に雨乞いをしたり長雨を止めてもらう願いをしたのだろう。それを八大龍王と考えたのは納得がいく。 ただ、八大龍王は法華経と関係が深いので、曹洞宗の龍興寺とは直接関係はなさそうだ。
境内に「唵嘛呢叭咪吽」と書かれた石碑がある(咪は口へんに迷)。 六字大明陀羅尼(ろくじ だいみょう だらに)という仏教の呪文で、チベット仏教と関係が深い。チベットでは六字真言と呼ばれ、マニ車にも刻まれている。 日本でいうと観世音菩薩の陀羅尼ということになる。 観世音菩薩の慈悲を表現した真言で、「オン・マ・ニ・ペ・メ・フン(オーム・マニ・ペーメ・フーム)」と発音し、蓮花の上におわします宝珠よ、といった意味らしい。 様々な意味が込められた言葉で、これを唱えると観世音菩薩が災難から守ってくれると信じられている。 この他、「白龍請」と彫られた御手洗の石があったり、ロウソクが立てられていたり、神仏と民間信仰が入り交じった小さなワンダーランドの様相を呈している。 棲む池を失った龍神は今もここにとどまって町の守り神となってくれているだろうか。
作成日 2017.8.27(最終更新日 2019.3.15)
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