商売上手で人気のある神社が名古屋にもいくつあるけど、ここもそのうちのひとつだ。安産祈願と子供の虫封じに特化させることで参拝者の支持を集めている。 言い方を換えれば、それ以外の人はあまり相手にしていないようなところがあって、祈祷の受付けが午前9時から午後3時までで、その時間以外は門を閉ざしてしまう。初めて訪れたときは夕方の4時くらいで、閉ざされた門の前でしばし呆然としてしまった。大きな神社で夜は閉めているところはあるけど、街の小さな神社で午後3時に閉まってしまうようなところは他にない。 神社も参拝者を選ぶ権利があるといえばそうだ。そういった割り切りも必要なのかもしれない。 戌(いぬ)の日は特に混むので注意が必要だ。100台ほどある無料駐車場に列ができることもあるそうだから、そりゃあ儲かる。ちまちま賽銭を集める必要もない。 どうして戌の日に妊婦さんがお参りに訪れるかというと、犬はたくさん子供を産んでお産が軽いことにあやかろうということから来ている。昔から妊娠5ヶ月目に入った最初の戌の日に、腹帯を巻いて安産祈願のお参りをする風習があった。 戌の日は12日に一度めぐってくるので、月に2日か3日ある。妊婦さんがその日に合わせて行くのはいいとして、関係ない人間がたまたまその日参拝に訪れてしまうとえらいことになる。 名古屋で安産祈願できる神社は意外と少なく、妊婦さんの間では八事の塩竈神社がいいらしいよという話になって、どうしてもここに人が集まるということになる。中川区の西日置にも鹽竈神社(web)があるけど、あそこは安産祈願どうこうという話は聞かない。やはりこの神社はやり方が上手かったということだろう。 戌と犬もこじつけだけど、塩竈神社の神である塩土老翁命(しおつちのおじのみこと)と安産祈願もこじつけだ。 塩ジイの名前の通り、もともとは塩作りの神様だった。塩が潮に通じるということで、潮の満ち引きを司るとされ、妊娠や出産も潮と関係があるから安産の神ということにされた。
創建は江戸時代後期の弘化年中(1844-1847年)という。 八事村に住む豪農の山田善兵衛という人が陸奥国一宮(宮城県塩竃市)の鹽竈神社(web)から勧請して自宅で祀っていたのが始まりだ。 『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。 「社伝に弘化年中(1844-1847年)陸前国宮城郡塩竈神社分霊を奉斎、当村の山田善兵衛自祭のところ明治5年10月11日、公称公許となる。昭和12年6月30日、本殿、拝殿、神楽殿造営竣工する。虫封、安産に霊験たかく夫人の参詣多い」
明治5年は1872年で、1845年頃に建てたとして、そのとき山田善兵衛はまだ生きていたのかもう亡くなっていたのか。山田善兵衛亡き後、家族が持てあまして村で祀ってくださいということになったのかもしれない。 もしくは、明治5年頃は神仏分離令を受けて神社を整理しつつ社格を決めていた時期なので、そのとき公称公許ということになって山田家が手放したということも考えられる。 ただ、『愛知縣神社名鑑』では宮司が山田豊己知となっているので、引き続き山田善兵衛の子孫が宮司を務めているのかもしれない(この情報はおそらく昭和の古いものだろう)。 明治15年(1882年)に現在の御幸山中腹に社殿を建てて、建物と境内を社有としたというから、安産祈願に一般の人が訪れるようになったのはそれ以降ということになるだろうか。
本家の鹽竈神社は実はよく分からない神社だ。 陸奥国一宮とされながら『延喜式』神名帳(927年)に載っていない。しかし、『弘仁式』と『延喜式』の「主税式」には国から10,000束の祭祀料が与えられたという記録がある。 これは当時の陸奥国の税収の60分の1に当たり、他に国から祭祀料を受けていた出雲国三島社の2,000束、出羽国月山大物忌社の2,000束、淡路国大和大国魂社800の束と比べて破格の扱いだった。 にもかかわらず『延喜式』神名帳に載らなかった理由は不明とされる。 祭神の塩土老翁神は降臨したニニギノミコト(瓊瓊杵尊)に自分の国を譲った事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)の別名とされたり、神武天皇に東にいい土地があると誘ったり、海幸彦山幸彦の話の中で困っている山幸彦(ホオリ)を助けたりと、導きの神としての一面を持っている。 東北平定の武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシ)の道案内をしたとされ、平定後の東北に留まり、人々に塩作りを教えたという。 その後、武甕槌神・経津主神とともに鹽竈神社で祀られることになったというのが鹽竈神社の縁起だ。
塩竈神社で安産祈願という話を聞くと、浜辺で塩を作っているおじいちゃんのところに妊婦さんが訪ねてきて安産よろしくお願いしますと頭を下げて、よく来たのぉと笑顔で出迎えながら内心ではワシにそんなことを頼まれても困るんじゃがのぉと思っている塩ジイの姿が目に浮かぶ。 今はもう浜辺で塩を作る人もほとんどいなくなったし、何百年も願い事を聞いていたら塩ジイもすっかり安産の神様が板に付いただろうか。おう、ワシに任せとけくらいになってるかもしれない。 妊婦とは無関係の私は、塩ジイがんばって、と遠くから応援することにしたい。
作成日 2017.12.22(最終更新日 2019.2.5)
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