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宝神社(宝神町)

宝神-社か? 宝-神社か?

宝神社(宝神町)

読み方 ほうじん-しゃ?(ほうじんちょう)
所在地 名古屋市港区宝神町繰出 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス あおなみ線「荒子川公園駅」から徒歩約45分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 宝神社を普通に読めば「たから-じんじゃ」だけど、ここは宝神町(ほうじんちょう)だから「ほうじん-しゃ」とも考えられる。宝神町から宝の文字を取って神社名としたのであれば、「たから-じんじゃ」ということになる。
 宝神町は明治11年(明治9年とも)に、宝来新田、神宮寺新田、山藤新田、元美新田が合併してできた宝神新田から来ている。
 町としては大正10年(1921年)に愛知郡小碓村大字宝神を名古屋市南区に編入して成立した。
 昭和55年(1980年)には宝神町、十一屋町、十一屋の各一部から宝神1丁目から5丁目ができた。

 宝神社については情報がほとんどなく、いつ誰がどこに何の神を祀って建てたのか調べがつかなかった。
 江戸時代の『尾張志』(1844年)などには載っておらず、神社本庁にも入っていないので、手がかりがない。
 社が神明造で内削ぎ千木と鰹木五本を持つといっても、戦後に建て直したものは形式に則っていないところが多いので当てにならない。
 アマテラスの神明社系か、熱田社系か、どちらかの可能性が高いけど、断定できる要素もない。

 今昔マップを見ると、明治中頃(1888-1898年)までは田んぼの中で、1920年(大正9年)も田んぼではあるのだけど、水路なのか溜め池なのかができて状況がよく分からない。貯木場か何かだろうか。
 1930年(昭和5年)になると神社がある場所のすぐ北を東西に鉄道の線路が敷かれている。
 1932年(昭和7年)には池らしきものが増え、1937-1938年(昭和13年)は減っている。
 1947年(昭和22年)に初めて鳥居マークが現れ、北側には細長い建物が描かれている。何かの工場だろうか。
 1976-1980年(昭和55年)になると田んぼは消えて住宅地になった。
 少なくとも昭和22年には神社が建っていたことは間違いなさそうだ。

 境内の南に宝神中部会公民館があり、神社はその敷地に間借りしているような格好になっている。神社が先で公民館が後だろうから、神社が敷地を提供しているという方が合っているのか。
 敷地内には神宮寺コミュニティセンターもある。
 社号標はまだ新しく、裏に「昭和五十九年十月」とある。
 公民館かコミュニティセンターを訪れた年配の人に訊いてみると何か分かることがあるかもしれない。

 

作成日 2018.7.13(最終更新日 2019.7.24)

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