瑞穂区南西部にある内浜町。内浜公園の一角にある神社が内浜神社だ。 西隣は浮島町で、北は塩入町と、海辺を思わせる地名が多いのは、かつてこのあたりが実際に海辺だった頃の名残だ。 それも遠い昔ではなく、江戸時代初めまでそうだった。江戸時代前半から明治にかけて、遠浅の海を干拓して新田開発をした。熱田区の南から、南区の西側、港区全域はそうやって陸地化された土地だ。 内浜町も今ではすっかり宅地化されているけど、昭和の前半まではアシ(ヨシ)が一面を覆う野原だったという。今ではその光景を想像するのは難しい。
境内入り口近くに、この神社の歴史について記した石碑がある。 それによると、慶応の頃は東海道沿いの八丁畷の松並木の土手にあったという。 慶応は幕末の1865年から1868年のことだ。創建がこの頃なのかそれ以前なのかは分からない。 八丁畷(はっちょうなわて)は、熱田の宮の宿から八丁(約900メートル)の場所にあった松並木の姿から名付けられたもので、現在の内浜神社から見て400メートルほど東の松田橋交差点(地図)のあたりだ。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、現在の内浜交差点(地図)のあたりに樹林に囲まれた鳥居マークが描かれている。もしかするとこれがそうだろうか。 その後、東海道が国道1号線となり、道路の拡張工事に伴って現在地に移されたのが昭和12年(1937年)のことだ。 昭和20年(1945年)8月の空襲で焼け、昭和23年に再建するも、昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風で被害を受けた。 現在の社殿は遷座30年を記念して昭和42年(1967年)に修造したものだ。
祭神について『瑞穂区の歴史』は天照大神と熱田大神と書いている。場所柄を考えると妥当なところだ。 中央に大きめの社があり、左右に小さめの社がある。本社で天照大神と熱田大神を祀っているとすれば、左右は津島社と秋葉社だろうか。
創建年代は定かではないものの幕末からあって、その後の町の変遷を見守り、戦災にも伊勢湾台風にも遭いながらも人々の暮らしのそばにあった神社という言い方ができるだろう。 公園の片隅に小さくなっていても決して余生なんかではない。今もここで町を守る現役の神社だ。
作成日 2017.9.25(最終更新日 2019.3.29)
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