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秋葉神社(二女子町)

二女子の熊野社の境内社だったか

二女子秋葉神社

読み方 あきば-じんじゃ(ににょし-ちょう)
所在地 名古屋市中川区二女子町1丁目39-5 地図
創建年 不明
旧社格・東急等 不明
祭神 不明
アクセス JR東海道本線「尾頭橋駅」から徒歩約25分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 二女子町(ににょしちょう)にある秋葉神社。
 入り口が北側にあって鳥居が北を向いているから、ちょっと違和感がある。北から南に向かって進んで社は東向きになっている。
 90メートルほど南に熊野社地図)がある。どうやらその熊野社に関係があるようで、入り口の掲示板に秋葉祭の案内が貼ってあって、そこに熊野社の氏子総代とあった。
 熊野社はもともと広い境内を持っていたようだから、この秋葉社はその境内社だったかもしれない。切り離されて飛地境内社になっているということだろうか。
 秋葉社がいつ建てられ、いつ今のように独立したのかは調べがつかなかった。
 熊野社の創建は江戸時代前期の1633年というから、それ以降ということだろう。

 二女子の町名は江戸時代の二女子村から来ている。
 昔、大領主が7人の娘を7つの村に嫁がせ、それぞれ一女子村から七女子村と名付けたなどという説がある。面白い話ではあるけど本当とは思えない。
 江戸時代には二、四、五、七女子村しか残っていなかったようで、その頃にはすでに由来は分からなくなっていたらしい。
 このあたりは名古屋城下から西へだいぶ外れたところで、街道沿いは田畑が広がるだけの寂しいところだったようだ。二女子村は人家も少なく、耕作人が足りずに丸米野村や四女子村に頼んで人に手伝ってもらっていたという。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、この頃までにはそれなりに家も増えている。
 北を津嶋街道が通り、西には中川が流れていたのが分かる。
 大正2年(1913年)に下之一色と新尾頭の間で下之一色電車軌道が開業した。それが津嶋街道を走るようになり、二女子も少しずつ発展していくことになる。
 自然河川の中川を人工的に掘削して中川運河としたのが昭和5年(1930年)のことだ。それに伴いこのあたりも区画整理された。
 下之一色電車軌道は1937年(昭和12年)に名古屋市電に買収され、1969年(昭和44年)に廃線となった。
 鉄道がなくなってしまって二女子の人たちは生活が不便になったのではないだろうか。このあたりは地下鉄も通らなかった。JR東海道本線の尾頭橋駅まで歩くには遠い。

 小さな秋葉神社ではあるけれど、家一軒分くらいの敷地はある。もっと小さな秋葉社がいくらでもあることを思えば、秋葉社としては必要充分といえるだろうか。

 

作成日 2017.12.27(最終更新日 2019.7.13)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

かつては熊野社のどこにあったのか二女子町秋葉神社

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