北の白鳥橋東交差点(地図)から南の内田橋北交差点(地図)にかけての道沿いに短い間隔で秋葉社が並んでいる。 北から田中町の秋葉神社(地図)、木之免町の秋葉神社(地図)、大瀬子公園南の秋葉神社(地図)、大瀬子町の秋葉神社(地図)、大瀬子橋近くの軻具突智社(地図)がそれだ。 それらは秋葉神社・軻具突智社(大瀬子町)のページにまとめて書いた。 その通りから少し東に入った住宅地にも秋葉社がある。それは上のページとは別に秋葉社(大瀬子町)(地図)として紹介した。 同じ大瀬子町内にもう一社、秋葉社がある。区別をつけるためにこちらは秋葉社2(大瀬子町)としておく。 とにかくこのあたりは秋葉社が多い。
かつて名古屋城下には多くの秋葉社があったという。火防せの神として祀ることを尾張藩主が奨励したためだ。 地上だけではなく屋根神様として屋根の上に祀ることも名古屋城下では流行した。地上に祀るスペースがなかったというのも理由だろう。 熱田の地は、熱田社(熱田神宮/web)の門前町であり、東海道一の宿場だった宮宿があった場所ということで、家も人も多かった。びっしり家が建ち並んだ町で火事が出ると大変なことになるので、秋葉を祀るというのは切実な願いが込められたことでもあっただろう。 大瀬子というのは古くから魚問屋が集まっていた場所で、江戸時代に入ると魚市場ができた。今の大瀬子公園があるあたりだ。 熱田社の神宮寺であり秋葉三尺坊を祀る秋葉山圓通寺(web)があったことも秋葉社が多いことにつながっていると思われる。
現在残っている秋葉社がいつ頃建てられたものなのかはよく分からない。江戸時代というよりは明治以降、大正から昭和初期にかけて建てられたものが多いという話も聞いた。中には江戸時代のものもあるかもしれない。 それにしてもこの地区にだけ集中して秋葉社が建っている理由はよく分からない。実際のところ、同じ町内に2つも3つも秋葉社がいるだろうかと思う。昔はもっとたくさんあって、これでも減ったそうなのだけど。
毎年12月の秋葉の例祭では社の前でかがり火を焚いて、子供たちの太鼓隊が町内を練り歩くという。 当たり前のように町に秋葉社があって、12月になれば普通にお祭りをする風習が残っているところは少なくなった。大瀬子ではそんな伝統が守られていってほしいと思う。
作成日 2018.10.6(最終更新日 2019.9.18)
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