八劔社(剣町)

安易な遷座は危険かも

剣町八劔社

読み方 はっけん-しゃ(つるぎ-ちょう)(?)
所在地 名古屋市中村区剣町201番地 地図
創建年 不明
社格等 無格社・ 十五等級
祭神 草薙御剱(くさなぎのみつるぎ)
アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約15分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

  神社がある剣町(つるぎちょう)は、八劔社から取られたものに違いない。
 広くいうと、ここはかつての岩塚村だ。
 剣町になる前は岩塚町字八剣東で、昭和41年(1966年)に周辺の町とあわせて剣町として成立した。
 岩塚の中心的神社が七所社であることは昔も今も変わらない。
 この七所社というのもよく分からない神社で、延喜式神名帳にある御田神社なのかそうでないのかはっきりしない。しかし、古い神社には違いなく、熱田社との関係も深そうだ。

 江戸期の書の岩塚村の項を見るとそれぞれこうなっている。 

『尾張志』
「七所社 岩塚村にあり熱田七社神を祭る(後略)
 八幡ノ社 氏神社より巳の方にあり 末社に富士社白山社あり
 八社ノ社 氏神之社より南にあり 末社に劔社あり
 神明ノ社 氏神より未にあり
 八劔ノ社
 天王ノ社 氏神より辰の方にあり」

『尾張徇行記』
「大明神社八幡社明神社八劔社天王社神明社界内五反三畝 府志云、七社祠在岩塚村(後略)」
「八劔社内一畝前々除再建同年也(明暦三酉年)」
「八劔社内三畝外ニ田六畝倶ニ前々除再建ハ元和元卯年也」

『寛文村々覚書』
「社六ヶ所 内 大明神 八幡 明神 八剱宮 天王 神明社 当村祢宜 善大夫持分」

『寛文村々覚書』と『尾張徇行記』にある大明神というのが七所社のことだと思う。
 八幡社は岩塚八幡社、八社社は八所社、天王社は津島社、神明社は七所社の西の神明社、八劔社はここと、すべてそのまま残っていると考えてよさそうだ。
『尾張徇行記』の記述によると、八劔社は元和元年(1615年)と明暦三酉年(1657年)に再建されたらしい。
 前々除となっているから1608年の備前検地のときにはすでにあったということだ。
 創建がどこまでさかのぼれるかはよく分からない。

『愛知縣神社名鑑』にちょっと気になることが書かれている。
「伝え聞く享保十九寅年(1734)3月、同氏神七所社境内へ転合するに村内漸々困窮、加え悪疫流行に付、弥々神威に畏怖し尚又寛政二戌年(1790)3月、旧地へ復せりと」
 江戸時代中期の1734年に、八劔社を七所社の境内に遷したら岩塚村がおかしなことになったので元の場所に戻したというのだ。
 実は岩塚の神明社も同じく1734年に七所社に遷したら疫病が流行ったりしたので元に戻したという。神明社の方は1742年に戻したらしい。
 ただ、そのあたりのことについて江戸期の書では触れられていない。『愛知縣神社名鑑』も「伝え聞く」と書いているから、記録にあるわけではなくそういう話が伝わっているということなのだろう。

 神社というのは社殿のことではなく場所のことだったりするので、人間が引っ越しをするように気軽にしていいものではない。
 明治から昭和にかけて、特に戦後は町の区画整理や開発によって多くの神社が旧地から遷されている。記録として残っていなくてもいろいろと問題が起こったのではないだろうか。
 それは21世紀の現在でも変わらないことだ。

 祭神を草薙御剱(くさなぎのみつるぎ)としているのは珍しい。
 本家の熱田神宮も別宮の八剣宮も、表向きの祭神は熱田大神としている。これは草薙剣に宿る天照大神のこととする。
 各地の八劔社の場合は日本武尊としているところも多いのだけど、草薙剣を祀っているとしているところは少ない。ほとんどないんじゃないかと思う。どうしてこの八劔社だけがそうしているのか、理由は分からない。
 そもそも八剣宮の祭神は草薙剣なのか、という問題もある。

 境内は決して広くはなく、やや荒れている印象も受けるのだけど、なんというか独特の雰囲気を持った神社だ。荒ぶる気持ちがくすぶっているというのだろうか。訪れたこちらの気持ちもそわそわする。
 岩塚という土地に何か特別なものがあるのかもしれない。
 この後、七所社を再訪してから神明社にも行ったのだけど、このあたり一帯の神社は別個にではなくひとかたまりとして捉える必要がありそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

ちょっと独特の雰囲気を持つ剣町の八劔社

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