金山神社(玉船町)

中川運河沿いの工場が建てた神社か

玉船町金山神社

読み方 かなやま-じんじゃ(たまふねちょう)
所在地 名古屋市中川区玉船町2丁目 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄名港線「六番町駅」から徒歩約27分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 中川運河沿いの道から一本西に入ったところにある神社。近くまで行ってるはずなのになかなか見つけられなかったのは入り口が狭くて何の目印もないからだ。狭いというか狭すぎる。人ひとりやっと通れるくらいの幅で、ベビーカーなどは挟まってしまうんじゃかいかと思うほどだ。
 入り口の正面に一般宅らしい玄関の扉があるのが見えて入るのを少しためらった。ここは一般のお宅の神社なんじゃないかと思ったからだ。
 思い切って入ってみると、ちゃんと神社としての体裁は整っている。鳥居があって、社号標があって、参道があって、木製の灯籠があって、高台にお社がある。規模が小さめの普通の神社だ。
 それにしてもこのロケーションはちょっと驚く。神社サイトを作るという目的意識がなければ中まで入れなかっただろう。
 地図を見ると、北側は「中部油機」、東は「フードサービス」、南は「和田運輸」とある。金山神社は一般的に金属関係の神を祀る神社であることが多い。もしかすると、そういう関係の企業神社かもしれない。あるいは、お宅神社という可能性もある。

 神社ある場所は江戸時代前期までは海だったところだ。
 この場所を干拓して広大な田畑にしたのは1640年代のことだった。
 1630年代に鬼頭景義が中島新田、福田新田を開発し、それに続いて尾張藩主導で広大な干拓事業が行われた。東の熱田から西の庄内川に至る4キロを干拓して陸地化し、そこを新田にした。1646年から始まり、1649年に土地ができ、1651年に新田となった。そこを熱田新田と名付けた。
 熱田新田は一番割から三十三番割までに分割され、西国三十三ヵ所になぞらえてそれぞれに観音堂が建てられた。
 同時にいくつかの神社も建てられ、それらは今も残っている。
 番割の地名も、一番から十一番まで残った。

『尾張志』(1844年)によると、江戸時代後期の番割神社は以下のようになっていたようだ。
 八劔社 一番割
 神明社 四・五番割 熱田新田で最初に建てられた神社
 神明社 六・七番割
 寶田社 八・九番割
 八劔社 十一番割
 天王社 十四番割
 神明社 十七番割
 神明社 十八番割
 神明社 二十二番割
 神明社 二十八番割
 神明社 三十一番割

 金山神社がある玉船町は中川運河ができてからの町だ。
 自然河川の中川を運河化したのが昭和5年(1930年)で、それまでこのあたりは田んぼしかなかった。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると分かる。中川は今の中川運河よりも少し東を流れていた。
 玉船町(たまふねちょう)は小碓町(おうすちょう)の一部より昭和5年に成立した。中川運河が完成した年だ。
 中川運河の西岸を「○船町」、東岸を「○川町」と名付けた。
 富船町・富川町、清船町・清川町、福船町・福川町、玉船町・玉川町、新船町・新川町、金船町・金川町と、その法則通りに町が並んでいる。
 昭和7年(1932年)の地図を見ると玉船町のあたりにまだ家は建っていない。1937-1938年の地図では一気に家が増えている。
 中川運河を利用した水上運輸は昭和30年代まで発展して賑わったものの、その後、鉄道や道路の発達によって衰退した。
 ただ、その名残で今でも運河沿いは倉庫や工場が多い。
 これらの歴史や土地柄を考えると、金山神社は昭和5年以降に工場もしくは個人宅で建てられた神社の可能性が高いように思う。

 金山神社というと、名古屋では熱田区にある金山神社が知られている。金山の地名の由来となった神社だ。
 創建は古く、承和年間(834-847年)というから平安時代前期だ。
 熱田社(熱田神宮/web)の鍛冶職だった尾崎善光が自宅に祀ったのが始まりとされる。
 その後、尾崎善光が熱田の中瀬町に移り、屋敷跡に残された社を建て替えて金山神社とした。
 熱田社との関係も深いことから、一時は高座結御子神社の末社になっていたようだ。
 中川区玉船町の金山神社が熱田の金山神社と関係があるかどうかは分からない。金山神社総本社とされる岐阜県垂井町の南宮大社(web)から勧請しただろうか。

 名古屋の神社で一番入り口が狭い神社と認定しよう。そのことで記憶にとどめたい。

 

作成日 2017.12.29(最終更新日 2019.7.13)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

入り口が超狭い玉船町金山神社は一般向けなのか

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