街中の住宅地にある小さな神社。家屋と駐車場に挟まれてここを動かないぞと頑張っている感じがする。 銅板葺きで流造の社はわりと立派で、かつてはもっと神社らしい神社だったかもしれない。 社の前にはお堂というより一間の部屋の家屋のような建物が建っており、中を覗くと床には赤いカーペットが敷かれ、お酒などの供え物がしてあり、お祀りの態勢が整っている様子が見てとれる。生活感があって個人の部屋のようだ。 ここは稼働していると思った。生きている神社と死んだような神社があるけど、ここは間違いなく前者だ。手水の水も流れている。
建物の庇の上に高光龍神と三輪明神と書かれた額が掛かっている。 社号標は高光龍神のものだけだ。 社号標には「昭和二十九年十二月建立」や「北区清水町三村歯科医院」などと彫られている。 手水の鉢には「名古屋大神講社 講中一同」とある。 大神講社の大神は、奈良県桜井にある大神神社(おおみわじんじゃ/web)の講社に違いない。額にある三輪明神は大神神社の神のことだ。 現在も名古屋大神講社という団体があるのかどうか分からないのだけど、その講社の人たちがこの神社に関わったことは間違いなさそうだ。 その大神講社と高光龍神の関係については分からない。高光が何を意味しているのかも不明だ。 室内の様子からすると日常的にお祀りが行われているようだから、関係者に訊ねれば何か教えてもらえそうだ。
神社がある杉村は江戸時代から杉村だったところだ。杉村という地名ではなく、杉という名前の村だったということだ。春日井郡に属し、西杉村・中杉村・東杉村と分かれていた時代もある。 村名の由来としては、蔵王権現社(片山神社)の末社だった稲荷大明神(どこのことか不明)の杉の大木が枯れたため、その枝を近郷の5つの村に配ったことによるという説がある。 あるいは、村人が杉の木で船を作って領主に献上したことから杉の名が与えられたともいう。 杉村1丁目が成立したのは昭和55年(1980年)で、杉村町、東杉町、杉栄町、大杉町の各一部から成った。杉のつく地名だらけだ。とにかく杉の木にまつわることは間違いないのだろう。 杉村の西に木曾街道(上街道)が通っていたことから志水(清水)のあたりは早くから町として発展した。 杉村は名古屋城下の外れで、江戸時代前期は農村だったのが、名古屋城下に人が増えると城から近いということで杉村のあたりも江戸中期以降は町屋や武家の邸宅が多く建った。 明治から大正にかけては、陶磁器の絵付け工場や製糸・織物・染色の工場もあった。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社があるのは杉村の東集落だったことが分かる。 この規模の神社なのでその後の地図でも鳥居マークは描かれない。最初からこの場所にあったかどうかは分からないし、講社が建てた神社とすると明治以降、昭和の創建という可能性もある。 神社がある少し北に描かれている卍マークが気になる。現在、この場所に寺はなく、1932年(昭和7年)の地図以降消えているから廃寺になったか、別の場所に移ったかしたのだろう。 現在に続く町割りはすでに1932年にはできていた。 このあたりは空襲の被害が少ないところだったのか、戦前から戦後にかけて町の様子があまり変わっていない。 1960年代にはびっしり家が建ち並んでいる。
現状、この神社に関して分かることはほとんどないのだけど、関係者に教えていただけることがありそうなので、調査を継続したい。
作成日 2018.9.1(最終更新日 2019.1.12)
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