大手神社(地図)とは荒子川を挟んで東西にあり、どちらも民間信仰から発した神社という共通点がある。 ここは熱田前新田の南端で、荒子川の河口近くだった。 神社のある十一屋(じゅういちや)という町名は、名古屋広小路の呉服商、十一屋の小出庄兵衛の所有地だったことに由来する。ただしそれは山藤新田のことで、ここよりもっと西側の十一屋3丁目のあたりだ。十一屋は名古屋の百貨店の老舗で、後の丸栄へとつながっていく。そのあたりのことについては十一屋の稲荷社のページに書いた。 十一屋町は昭和12年(1937年)に熱田前新田の一部より成立した。 その後、編入などが繰り返され、十一屋1丁目から3丁目が成立。一部に十一屋町が現存している。
民間信仰が始まりとなると、いつ誰がどこにどんな神を祀ったかを推測するのは難しい。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)でもまだここは田んぼの中で、南に堤防と水路があるだけだ。堤防の南に道があり、堤防と道の間に民家が並んでいる。 鳥居マークが現れるのは1968-1973年(昭和48-53年)の地図からだ。 ただ、昭和28年9月建立の銘があるので、少なくともこの年には建っていたということだ。どこまでさかのぼれるかはちょっと分からない。 水にまつわる神だったのか違ったのかもなんとも言えない。現在の祭神も調べがつかなかった。 読み方は「あらこがわ-みず-じんじゃ」でいいのか、「みずがみ-しゃ」なのか、別の読み方なのか。「すいじん-しゃ」という可能性もある。
十一屋の南の一州町(いっしゅうちょう)は、文政年間に栗田兵部(くりたひょうぶ)により開発された稲富新田の一部で、東邦電力(中部電力の前身)の用地だったことから、社長の松永安左衛門の雅号「一州」にちなんで名づけられた。 明治までは水田だったものの風水害や塩害に悩まされ、大正時代には荒れ地になっていたようだ。 一時飛行場になったことがあり、昭和初期には飛行場跡地に競馬場が作られ草競馬が行われていた。 東邦電力の発電所が建てられたのが昭和14年で、公害問題で発電所が撤退した後はしばらく空き地になっていた。 平成元年(1989年)に名古屋デザイン博覧会が開催されたときは、名古屋港会場の駐車場として使われた。 その後、ゴルフ練習場ができ、ホームセンターのカインズやスポーツデポ、ベイシアフードセンターなどの大型店が進出して風景は大きく様変わりした。 神社南の十一屋川緑地は、十一屋川を埋め立てて緑地公園としたもので昭和57年(1982年)に完成した。
境内には鉄棒やうんていなどの遊具もあり、半ば公園のようになっている。 参拝している短い間に何人も神社を訪れる人がいて、ずいぶん人気のあるところだなと思ったら、ただの抜け道として利用されているだけだった。それでも役に立っているといえば立っている。 この神社の始まりを知っている人がどれくらい残っているかは分からないけど、このあたりの昔話を聞いてみたい気がする。
作成日 2018.7.8(最終更新日 2019.7.22)
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