烏森村三社のうちの一社(あとの二社は烏森天神社と烏森八幡社)。 烏森村(かすもりむら)の由来などについては烏森八幡社のページに書いた。 烏森村の神明社がいつ誰によって建てられたかは分からない。 手がかりになりそうなのは、『寛文村々覚書』(1670年頃)に前々除とあることと、『尾張徇行記』(1822年)に再建が寛文11年(1671年)とあることだ。 前々除というのは1608年に備前検地を行ったときすでに除地だったということで、その神社の創建は江戸時代以前にさかのぼることを意味する(一部例外はある)。 寛文11年(1671年)再建というのは同じ村の八幡社も同じだから同時にやったようだ。天神社はそれより前の寛永2年(1625年)という。 烏森村は、平安時代中期の延喜年間(901-923年)に成立した伊勢の神宮(web)の荘園、一楊御厨(いちやなぎのみくりや)があったところで、それぞれの集落が村として独立したのは鎌倉時代とされている。 神宮とのゆかりからして、早くから伊勢の神を祀る神社があったとしても不思議ではない。この神社も最大限さかのぼるなら平安時代中期、または鎌倉時代ということもあるのではないだろうか。
『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。 「創建は明かではないが『尾張徇行記』に再建寛文十一亥年(1671)と記す。又『尾張志』に神明ノ社かすもりむらにあり、と。明治6年、据置公許となる」
天神社は明治の社格制度で指定村社となり、あとの二社、八幡社と神明社は据置公許として残された。合祀されていた可能性もあったのに、どうして残ることができたのだろう。村人の強い希望だっただろうか。 村を天神・八幡・神明の三社で守るというのはバランスがいい。境内社として秋葉と津島(天王)も祀っているので万全だ。
神明社の例祭は八幡社と同じ旧暦の2月25日となっている。昭和の情報なので今は変わっているかもしれないけど、この日は八幡社と神明社にとって何か特別な日だったのだろう。 2月25日といえば菅原道真の命日で、天満宮では神事を行うけど、八幡と神明だから関係がない。烏森の天神社の例祭は5月5日だ。 この神明社はどこか神明社らしくないから、元は別の神を祀る違う名前の神社だったかもしれない。本殿は覆殿で囲われていてよく見えないのだけど、『愛知縣神社名鑑』には流造とある。覆殿も神明造ではなく板宮造だ。
どことなく釈然としない気持ちを抱えたまま天神社に向かった。 烏森村の中心神社は天神社なので、天神社のページで烏森村の神社について総括したい。
作成日 2017.11.17(最終更新日 2019.5.11)
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