烏森村三社は昔も今も変わらず ![]() | |
読み方 | しんめい-しゃ(かすもり) |
所在地 | 名古屋市中村区烏森町7丁目 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 旧無格社・ 十五等級 |
祭神 | 天照皇大神(アマテラス) |
アクセス | 近鉄名古屋線「烏森駅」から徒歩約11分 |
駐車場 | なし |
祭礼・その他 | 例祭 旧暦2月25日 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 烏森の神明社は囲い方が少し足りないんじゃないかと思う |
烏森村三社のうちの一社(あとの二社は烏森天神社と烏森八幡社)。
烏森村(かすもりむら)の由来などについては烏森八幡社のページに書いた。
烏森村の神明社がいつ誰によって建てられたかは分からない。
手がかりになりそうなのは、『寛文村々覚書』(1670年頃)に前々除とあることと、『尾張徇行記』(1822年)に再建が寛文11年(1671年)とあることだ。
前々除(まえまえよけ)というのは1608年に備前検地を行ったときすでに除地(よけち)だったということで、その神社の創建は江戸時代以前にさかのぼることを意味する(一部例外はある)。
寛文11年(1671年)再建というのは同じ村の八幡社も同じだから同時だったようだ。天神社はそれより前の寛永2年(1625年)再建という。
烏森村は、平安時代中期の延喜年間(901-923年)に成立した伊勢の神宮(公式サイト)の荘園、一楊御厨(いちやなぎのみくりや)があったところで、それぞれの集落が村として独立したのは鎌倉時代とされている。
神宮とのゆかりからして、早くから神宮の神を祀る神社があったとしても不思議ではない。この神社も最大限さかのぼるなら平安時代中期、または鎌倉時代ということもあるのではないだろうか。
『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではないが『尾張徇行記』に再建寛文十一亥年(1671)と記す。又『尾張志』に神明ノ社かすもりむらにあり、と。明治6年、据置公許となる」
天神社は明治の社格制度で指定村社となり、あとの二社、八幡社と神明社は据置公許として残された。合祀されていた可能性もあったのに、どうして残ることができたのか。村人の強い希望だっただろうか。
村を天神・八幡・神明の三社で守るというのはバランスがいい。境内社として秋葉と津島(天王)も祀っているので万全だ。
神明社の例祭は八幡社と同じ旧暦の2月25日となっている。昭和の情報なので今は変わっているかもしれないけど、この日は八幡社と神明社にとって何か特別な日だったのだろう。
2月25日といえば菅原道真の命日で、天満宮では神事を行うけど、八幡と神明だから関係がない。烏森の天神社の例祭は5月5日だ。
この神明社はどこか神明社らしくないから、元は別の神を祀る違う名前の神社だったかもしれない。本殿は覆殿で囲われていてよく見えないのだけど、『愛知縣神社名鑑』には流造とある。覆殿も神明造ではなく板宮造だ。
どことなく釈然としない気持ちを抱えたまま天神社に向かった。
烏森村の中心神社は天神社なので、天神社のページで烏森村の神社について書くことにする。
作成日 2017.11.17(最終更新日 2025.9.29)