浮島神社

浮島社の謎が浮かび上がる

浮島神社

読み方 うきしま-じんじゃ
所在地 名古屋市瑞穂区浮島町6 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)
アクセス 地下鉄名城線「伝馬町駅」から徒歩約12分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 瑞穂区の南西端近くに鎮座する。西を流れる新堀川を渡れば熱田区で、そこは江戸時代に東海道の宿場、宮宿があった場所だ。
 新堀川を挟んで反対側に秋葉神社地図)があって、その境内に浮嶋神社と彫られた自然石がある。そこが浮島神社の旧地というわけではなく、何故そこにあるのかが謎だ。
 浮島神社の前身である浮島社はいったん廃社になっている。その後復活して現在の浮島神社になった。

『尾張名所図会』(1844年)にはこうある。
「裁断橋の一町ばかり東に、一堆(たい)の塚山に老松四、五株あり。ここを牟山戸(むさんど)ともいふ。もと社ありて天細女命(あめのうずめのみこと)を祭りしよし、今は廃社となる」
 これが旧浮島社のことのようだ。
 裁断橋は精進川(今の新堀川)に架かる橋で、宮宿の東の入り口になっていた。
 そこから一町(109メートル)東に小山があって、それを塚山といっているということは誰かの墓ということだろうか。その塚山の上に古い松の木が4、5本あって、牟山戸(むさんど)と呼んでいたと。
 この「むさんど」は、熱田の豪族で尾張藩に仕えることになった加藤家の松平図書康久入道無三が無三殿(むさんどの)と呼ばれていたことから来ているのではないかと思う。
 浮島神社があるあたりは、江戸期の絵図では加藤図書助の館、羽城があった場所に当たる。もしかすると加藤家の社として出発しているかもしれない。それが塚山であったとすれば、加藤家の墓という可能性もある。

 浮島神社の浮島は、かつてこのあたりが浮島ヶ原と呼ばれていたことから来ている。
 潮の満ち引きで満潮のときに島のように浮き上がって見えたからとか、大水で人家などが流されてもここだけは浮いたようになって被害がなかったからなど、いくつかの由来が語られる。

 創建のいきさつは不明で、祭神もはっきりしない。
『尾張志』(1844年)は祭神について「日本武尊とも天細女ノ命ともいひて定かならす」と書く。
『名古屋市史 寺社編』は、祭神は天穂日命(アメノホヒ)とも、天細女命(アメノウズメ)とも、日本武尊(ヤマトタケル)ともいう、としている。
 ここでアメノホヒ(天穂日命)の名前が出てくるのは非常に唐突な感じがする。しかし、唐突であるがゆえに何らかの根拠があるとも考えられる。
 もし私が推測したように加藤家の塚で祀った社として出発しているのであれば、加藤家は祖神として誰を祀ったのかということになるし、『尾張名所図会』のようにアメノウズメ(天細女命)だとすれば、近くにあった鈴宮(鈴之御前社)との関係が考えられる。

 アメノホヒはアマテラス(天照大神)とスサノオ(須佐之男)との間で行われた誓約(うけい)から生まれた五男三女神の一柱で、アマテラスの次男に当たる。
 長男であるアメノオシホミミ(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)が地上への降臨を拒否したため、代わって弟のアメノホヒが出雲へ行って国譲りを迫ることになった。しかし、3年経っても戻ってこないのでおかしいと思ったら、すっかりオオクニヌシと仲良くなってしまっていたという神だ。
 続いて送り込んだ天若日子(アメノワカヒコ)も大国主の娘の下照比売(シタテルヒメ)と結婚して役目を果たさなかったために殺され、説得工作をあきらめて武甕槌(タケミカヅチ)を派遣して武力で従わせて国譲りとなった。
 それでもアメノオシホミミはどうしても地上に降臨するのはイヤだということで、アメノオシホミミの子供であるニニギ(瓊々杵尊)が降臨したというのが日本神話の流れだ。
 アメノホヒは出雲の神話では実はちゃんと任務をこなしたいい神として描かれ、その子供の建比良鳥命(タケヒラトリ)が出雲の国造の祖となったということになっている(出雲国造は古くから現在に到るまで出雲大社(杵築大社/web)の宮司を務めている)。
 そういう神なので、島根や鳥取などの西日本の神社で祀られることが多く、名古屋市でアメノホヒを祀る神社はごく少ない。主祭神としているのは浮島社の他には中川区千音寺の天神社くらいだ。
 加藤家とアメノホヒが関係あるのか、塚の主に関係があるのか、もっと別の関連からここで祀られるようになったのか、そのあたりは何ともいえない。

 祭神がアメノウズメだとすると、また話は違ってくる。
 東海道を西へ進んで裁断橋を渡ってすぐの右手(北)に鈴宮社があり、そこは熱田社へ行く人が祓いをしたところとされている。その祭神がアメノウズメだ。
 祓いといえばセオリツヒメ(瀬織津姫)だろうと思うのだけど、セオリツヒメは隠された神といった性格があるので、表立って祭神としているところは少ない。
 精進川を挟んで両社の祭神がアメノウズメだったとすれば、そこには何らかの意図や意味がありそうだ。

『尾張名所図会』にあるように、江戸時代後期にはすでに廃社となっていたものを、明治24年(1891年)頃に再興した。そのあたりの事情はよく分からない。
 現在は熱田神宮web)の境外末社という扱いになっている。
 伝馬町の秋葉神社にある浮嶋神社の石碑は江戸時代ほど古いものには見えなかったから明治以降のものなのだろうけど、どうしてあそこにあるのかというは謎は解けないままだ。

 いろいろ分からないことが多くて気になる神社なので、調査を継続したい。

 

作成日 2017.9.24(最終更新日 2019.3.29)

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