厳島社(太閤)

名古屋に残った数少ない弁天社のひとつ

太閤厳島神社

読み方 いつくしま-しゃ(たいこう)
所在地 名古屋市中村区太閤5丁目-13 地図
創建年 1747年(江戸時代中期)
社格等 不明
祭神

市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)

アクセス

・鉄道各社「名古屋駅」から徒歩5分から17分
・地下鉄桜通線「中村区役所駅」から徒歩約12分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 名古屋駅西の区画整理されていない一方通行だらけの住宅地の中にあって、見つけ出すのにちょっと手こずった。
 愛知県神社庁に登録されていないため、『愛知縣神社名鑑』に載っておらず、詳細はよく分からない。
 ただ、境内に由緒書きがあるので、大まかなことは知ることができる。

 それによると、創建年を延享四丁卯年(1747年)としている。これは本当だろうか?
 ここは江戸時代、牧野村だったところで、1655年から1658年にかけて行われた調査をまとめた『寛文村々覚書』に弁才天が載っている。厳島社という名前になったのは明治以降のことで、それまでは弁才天だったはずなので、この弁才天が厳島社のはずだ。
「社三ヶ所 内 神明弐社 弁才天 熱田祢宜 春大夫持分 社内一反五畝三歩 前々除」とある。
 神明社2社というのは、椿神明社牧野神明社のことで、弁天社とあわせて古くから牧野三社と呼ばれていたという。
 1658年時点で確認されていて、社内は年貢免除地の前々除になっているということは、創建は備前検地が行われた1608年以前ということになるのではないか。
 1822年に完成した『尾張徇行記』にも神明社二社と弁才天社が載っているのは当然として、「府志ニモ載レリ」とある。それは1752年完成の『張州府志』にも載っているということで、やはり前々除になっていたということだ。
 牧野村の弁天社がここ以外にあったとは思えず、そうなると創建は江戸時代以前の可能性が高いと思うのだけどどうなんだろう。
 ちなみに、1844年完成の『尾張志』では「神明社二所 牧野村にあり」となっていて、弁天社は抜け落ちている。これはちょっと不思議なことだ。

 厳島社の総本社は、よく知られているように広島県廿日市市の宮島にある嚴島神社だ。
 日本三景のひとつ、安芸の宮島にあり、名神大社の式内社で、安芸国一宮だった。
 社伝によると創建は飛鳥時代初期の593年で、地元の豪族、佐伯鞍職が神託を受けて、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀ったのが始まりという。
 古くから仏教の女神である弁才天と習合して、 大願寺と一体化していた。
 弁才天はもともとヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーから来ている。これは川を神格化した神といわれていて、仏教に取り込まれることで天部の神とされ、弁才天と呼ばれるようになる。
 神道では宗像三女神のひとりであるイチキシマヒメ(市杵島姫命)と同一視された。
 その後、七福神のひとつとされ、弁財天とも表記されるようになる。
 明治の神仏分離令により、弁天社は市杵島姫命を祀るとしたり、宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀ることになった。宮島の嚴島神社 もそうだ。

 もともと川の女神ということで、水辺で祀られるところが多い。 
 太閤の厳島社も本殿を水堀で囲み、中央を島に見立てている。
 弁才天というと赤色がイメージカラーなのだけど、ここでは赤色は使われていない。鳥居も普通の石造だ。もともとそうだったのか、後年そうしたのかは分からない。
 昭和37年に椿神明社と合併して、椿神明社の境外末社になったとのことだ。
 そのため毎年10月に椿神明社で行われる甘酒祭をこちらでも行っているらしい。

 弁天社が独立した神社として残っているところは名古屋では少ないので、そういう意味では貴重な神社といえそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

すべて残った牧野5社のうちの1社、太閤厳島社

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