名古屋駅西の区画整理されていない一方通行だらけの住宅地の中にあって、見つけ出すのにちょっと手こずった。 神社本庁に加盟していないため『愛知縣神社名鑑』には載っていない。ただ、境内の由緒書きで、大まかなことは知ることができる。
それによると、この地に鎮座したのは延享四丁卯年(1747年)という。これは創建年ではなく遷座の年だと思われる。 というのも、1655年から1658年にかけて行われた調査をもとに1670年頃にまとめられた『寛文村々覚書』に弁才天が載っているからだ。前々除となっていることから1608年の備前検地以前からあった社と考えていい。 かつては椿神明社と牧野の神明社とあわせて牧野三社といわれていた。 『張州府志』(1752年)や『尾張徇行記』(1822年)にも神明二社と弁才天が載っている。 ただし、『尾張志』(1844年)には出ていない。その理由はよく分からない。
厳島社の総本社は、よく知られているように広島県廿日市市の宮島にある嚴島神社(web)だ。 日本三景のひとつ、安芸の宮島にあり、名神大社の式内社で、安芸国一宮だった。 社伝によると創建は飛鳥時代初期の593年で、地元の豪族、佐伯鞍職が神託を受けて、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀ったのが始まりという。 古くから仏教の女神である弁才天と習合して、 大願寺と一体化していた。 弁才天はもともとヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーから来ている。これは川を神格化した神といわれていて、仏教に取り込まれることで天部の神とされ、弁才天と呼ばれるようになる。 神道では宗像三女神のひとりであるイチキシマヒメ(市杵島姫命)と同一視された。 その後、七福神のひとつとされ、弁財天とも表記されるようになる。 明治の神仏分離令により、弁天社は市杵島姫命を祀るとしたり、宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀るとしたところが多い。宮島の嚴島神社 もそうだ。
もともと川の女神ということで、水辺で祀られるところが多い。 太閤の厳島社も本殿を水堀で囲み、中央を島に見立てている。 弁才天というと赤色がイメージカラーなのだけど、ここでは赤色は使われていない。鳥居も普通の石造だ。もともとそうだったのか、後年そうしたのかは分からない。 昭和37年に椿神明社と合併して、椿神明社の境外末社となった。 そのため毎年10月に椿神明社で行われる甘酒祭をこちらでも行っている。
弁天社が独立した神社として残った例は名古屋では少ないので、そういう意味では貴重な神社といえる。
作成日 2017.7.21(最終更新日 2019.5.2)
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