お堂の中の津島さんと秋葉さん ![]() | |
読み方 | つしま-しゃ/あきば-しゃ(つゆはし) |
所在地 | 名古屋市中川区露橋町 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 不明 |
祭神 | 不明 |
アクセス | 名鉄名古屋本線「山王駅」から徒歩約10分 |
駐車場 | なし |
祭礼・その他 | 不明 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 露橋津島社はお堂の中 |
地図上の津島神社を目指して細い道を入っていくと、目的の場所にあったのが小さなお堂のような建物だった。
津島神社ってこれのこと?
半信半疑で近づいてみると、お堂の上に手書きで「秋葉神社 津島神社」と書かれた木札が貼ってある。どうやら間違いないようだ。
お堂は賽銭を入れるための小さな穴が空いている以外、完全に閉じていて中を見ることができない。
物置小屋のようなプレハブの建物が横にくっついている。
横や後ろに回り込んでみても中の状況は一切分からない。
ホントかな、と思う。
とりあえず賽銭を入れ、参拝を済ませ、写真を撮った。
神社があるのは、かつて露橋村だったところだ。露橋の由来についてはよく分からない。津田正生(つだまさなり)も『尾張国地名考』の中で、「地名に露・霜・雨・雪のたぐひは稀(まれ)なり」と書くだけで調べがつかなかったようだ。
マイタウン(愛知の本専門古書店)さんは、潰(つ)ゆ場(ば)、ツユバから転じたものではないかとエッセイの中で書いている。
笈瀬川(中川)、江川、堀川が南北に流れる低地で、たびたび水害に見舞われたであろうから、そこから潰(つい)える場所、ツユバと呼ばれたのではないかというのがその根拠だ。
妥当な推測だけど事実かどうかは分からない。少なくとも雨露の露が語源ではないだろう。
江戸時代の露橋村には、神明社と斎宮社(サグジノ社)があったと『寛文村々覚書』(1670年頃)、『尾張徇行記』(1822年)、『尾張志』(1844年)は書いている。
神明社は山王の露橋神明社のことで、サグジノ社は、その露橋神明社の中にある西宮社のことだろう。
露橋町の津島社ならびに秋葉社についての情報はない。
すぐ東隣に観音寺があるから、もしかするとこの寺にあった天王社と秋葉権現が明治に外に出されて津島社と秋葉社なったのかもしれないと考えたのだけど、そうではないという情報もある。
集落で祀っていた秋葉と天王をひとまとめにしたということだろうか。
神社のすぐ北の細い道は鎌倉街道の名残と考えられている。江戸時代にも露橋村の中を通っていた古い道だ。
今昔マックの明治中頃(1888-1898年)を見ると、集落と道の様子が見てとれる。お堂があるあたりがちょうど集落の中心で、すぐ西には役場があったようだ。
それにしても、どうしてこんなお堂の中に閉じ込めるようなことになってしまったのだろう。雨風を防ぐというには少々頑丈すぎて、ちょっと息苦しいんじゃないかと思った。
神様も風通しのよさが必要なんじゃないかと思うけどどうなんだろう。
作成日 2017.10.13(最終更新日 2025.8.19)