明治創建でももう老舗 | |
読み方 | あつた-しゃ(しまい-ちょう) |
所在地 | 名古屋市中川区島井町1101 地図 |
創建年 | 1874年(明治7年) |
旧社格・等級等 | 村社・十五等級 |
祭神 | 熱田皇大神(あつたすめおおかみ) |
アクセス | JR関西本線「春田駅」から徒歩約31分 駐車場 なし |
その他 | 例祭 6月5日 |
オススメ度 | * |
神社がある島井町(しまいちょう)は、江戸時代は千音寺村だったところだ。 しかし、江戸時代の『寛文村々覚書』(1670年頃)や『尾張志』(1844年)などにこの神社は載っていない。 それもそのはずで、建てられたのは明治7年(1874年)のことだからだ。 『愛知縣神社名鑑』にそのことが書かれている。 「明治7年3月20日、熱田神宮の御分霊を請け創祀する。同年10月1日、村社として公許せらる。昭和57年3月、宗教法人の承認を受けた」 明治7年という年にこの地区でどうして神社を建てようということになったのかは分からない。このあたりの人口が増えて神社のひとつも必要だということになったのだろうか。 それにしても、明治7年に建てた神社が半年後に村社に列格することがあるということにちょっと驚いた。かなり珍しいケースだとは思う。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、千音寺の集落から南東に外れた場所に小さな集落があることが見てとれる。1920年(大正9年)の地図では八反田とある。鳥居マークは描かれていないものの、この集落の氏神として祀ったのがこの熱田社ではないかと思う。 戦前、戦後まではあまり家も増えなかったようで地図上では大きな変化は見られない。 1960年代に入ると道もできて北西に千音寺小学校が建ったことで人口も少しずつ増えたようだ。 1968-1973年の地図で初めて鳥居マークが描かれる。 島井町は昭和58年(1983年)に富田町大字万場と大字服部の各一部より成立した。町名は大字万場の字名の嶋井から来ている。 八反田から嶋井になったのは1970年代以降ではないかと思う。 その後、北に名古屋西ジャンクションができて高速道路が通り、町の東を302号線が開通して、このあたりもすっかり住宅地になった。 境内も社もこぢんまりしているとはいえ、一軒家くらいの敷地はある。 本殿の左右にある小さな社は秋葉社と天王社だろうか。 明治創建というと新しい気がするけど、創建からすでに150年近くになる。お店なら立派な老舗の域だ。 地域の人たちが守り続けてきたんだろうという気がした。 作成日 2017.11.26(最終更新日 2019.7.8) | |
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 島井町熱田社は明治に建った新しくて古い神社 | |