MENU

五反城神社

社名以外すべてが不明

五反城神社全景

読み方 ごたんじょう-じんじゃ
所在地 名古屋市中村区五反城町4 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約5分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 五反城町にある五反城公園の一角にある神社。
 境内に由緒書きのたぐいはなく、どんな神を祀っているかも分からない。
 新旧の史料などを当たったものの、この神社についての情報は何も得られなかった。
 小さな祠というわけではなく、社号標もあり、鳥居も建っている。鳥居は銅製のような感じで、なかなか立派だ。
 唯一の手がかりは石灯籠に浮き彫りされた神紋だ。五七桐竹紋(桐紋と笹竹を組み合わせたもの)で、これは熱田神宮(web)と同じものだ。
 なので、熱田神宮の関係社、もしくは関係の神を祀る神社と考えてよさそうだ。岩塚は古くから熱田社と関係が深い土地なので、充分に考えられる。

 神社は地下鉄「岩塚駅」の北西230メートルほどにある。
 江戸時代までの岩塚村の中心はもっと西の庄内川左岸にあった。現住所でいうと岩塚町一帯に集落があり、村の中央を東西に佐屋街道が通っていた。
 五反城地区は集落から外れた田んぼの中で、周囲には何もなかった。
 今昔マップで明治中頃以降の変遷を辿ってみると、昭和の戦中まではずっと田んぼが広がっていたことが分かる。
 戦後、ここに突然住宅が建ち並んだ。建て売り住宅を一気に建てて町内丸ごと売り出したような感じだ。
 五反城町は昭和29年(1954年)に向島町と岩塚町の各一部から成立した。
 1丁目から8丁目まであり、北から南へ、きっちり区画整理した街並みとなっている。道を挟んで両側に住居が整列する新興住宅地といった風情が今も残っている。
 おそらくこの神社は町内の守り神として建てられたものだろう。創建は五反城町ができた後ではないだろうか。
 五反城は岩塚町の字名なのだけど、それ以前にさかのぼることができなかった。由来はまったく分からない。五反は田んぼの広さと考えられるけど、城はどういう意味があるのか。このあたりに戦国時代の城があったという話は聞かない。
 岩塚城があったのは岩塚町郷中の遍慶寺(地図)のあたりと伝わっている。

 この神社について知りたければ、近くの住人の方に訊ねるしかなさそうだ。
 境内はきちんと整っていて荒れた様子もないから、町内の人たちがお世話をしているのだろう。
 どんな由緒があるかまでは分からなくても、何の神を祀っているかくらいは知っているんじゃないかと思う。
 祭神だけでも分かれば納得できる。それさえ分からないと気分が落ち着かない。

 

作成日 2017.5.19(最終更新日 2019.4.17)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

五反城神社はきちんと整った小さな神社

HOME 中村区