稲穂社(椿町)

鉄格子に守られる都会の神社

椿稲穂社

読み方 いなほ-しゃ(つばきちょう)
所在地 名古屋市中村区椿町18-5 地図
創建年 1832年?(江戸時代後期)
社格等 十五等級
祭神

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

アクセス

・鉄道各社「名古屋駅」から徒歩5分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 名古屋駅西口を出て徒歩5分。多くの人が行き交う通り沿いにこの稲荷神社はある。
 駅から直線距離で240メートル。椿神明社よりもわずかに近く、名古屋駅直近の神社といっていい。
 椿神明社もそうであったように、ここ稲穂社も檻に入れられ厳重に守られている。不審者の侵入を防ぐという目的なのだろうけど、見た目は神様が檻に閉じ込められているように思えてしまう。
 平成9年(1997年)には不審火で拝殿が焼失したというから致し方ないところかもしれない。ホームレス対策という面もあるだろうか。

 笹島にあった名古屋駅が現在の場所に移されたのが昭和12年(1937年)のことだ。
 それまでこのあたりは賑わっているとは言えない住宅地でしかなかった。笹島のあたりもアシが茂る湿地だったという。
 さかのぼると江戸時代は牧野村と呼ばれていた。
 江戸時代後期の1832年、何もない土地をあらたに開墾すべく、牧野村の住人12戸がこの地に移住してきて集落を作った。その後ここは牧野出郷と呼ばれることになる。
 それらの人々が五穀豊穣と集落の安全を願って守護神としたのがこの稲穂社だった。
 神社の由緒では天保2年(1831年)となっており、『愛知縣神社名鑑』は天保3年(1832年)としていて、どちらが正しいのかよく分からない。
 分からないといえば『愛知縣神社名鑑』の「文政九丙戌年(1826)3月5日、寛政の棟札を社蔵する」という部分だ。
 牧野村の住人たちが移ってきて集落を作ったのが1832年(もしくは1831年)で、1826年と寛政年間(1789年-1801年)の棟札があるということはどういうことなのか。
 あらたに勧請して稲穂社を創建したのではなくて、もともと村にあった稲穂社を自分たちと一緒に移したということだろうか。そうでなければ辻褄が合わない。
 椿神明社、牧野神明社須佐之男社、厳島神社とともに牧野5社と呼ばれた。

 昭和20年3月の空襲により焼失。このときあらたに建てた名古屋駅も焼けている。
 昭和26年に再建。
 昭和40年、名古屋駅西の都市改造事業により現在地に移転。
 以前あった場所がどこなのかは調べがつかなかった。

 現在、社殿は三社並んでおり、稲穂稲荷社、稲穂社、稲穂秋葉社となっている。
 こうなったいきさつについてもよく分からない。
 祭神はウカノミタマ(宇迦之御魂神)となっているのだけど、中央の稲穂社がそうだとして左の稲穂稲荷社がどうなっているのか。秋葉社は普通にカグツチだと思う。

 この神社を訪ねると、いきなり入り口の門が閉まっていて、なんだ? 私を入れない気か? と思う。
 でも大丈夫、夜間は閉めるのだろうけど、日中は開いているので門を開けて中に入っていってかまわない。
 ただし、社殿がある前の鉄格子は鍵が閉まっていてそれ以上の進入を拒む。賽銭も鉄格子越しに入れないといけない。
 神様が動物園の檻に入れられているような、自分が檻に入っているような、ちょっと切ない感情に襲われる。
 こんな鉄格子にしなくても、もう少しやり方があると思うだのけどどうなんだろう。
 いつか鉄格子を外しても大丈夫なくらい平和な世の中が訪れることを願うしかないか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

都会の中に生き残った稲穂社

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