高野宮社

歴史や祭神に疑問は残すもなんかちょっといい神社

高野宮社

読み方 たかのみや-しゃ
所在地 名古屋市中村区横井2-185 地図
創建年 不明
社格等 村社・十三等級
祭神

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

アクセス

・近鉄名古屋線「伏屋駅」から徒歩約28分
・無料駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 中村区の西南の外れ、中川区との境界を流れる庄内川の左岸にある。
 境内の由緒書きに、昭和46年の区画整理によって現在の状況になったとあるから、元の場所から少し移っているのかもしれない。もしくは、周囲が住宅地として開発されて境内の様子が大きく変わったということだろうか。

『愛知縣神社名鑑』によると、
「創建は明かではないが、当地は昔郷名を御厨郷と称し『神鳳抄』に一楊(ひとつやなぎ)ノ御厨とあり、伊勢の神宮の御領地で、高野宮神明社と称した。文明17年(1485年)下一色の城主前田与十郎が社殿を修造する。『尾張志』に伊勢外宮の別宮の高ノ宮を縁故により祀りしものなりと、記す」
 ということだ。
 境内の由緒書きは少し違っている。
「創建は明かではない。文明17年(1485年)に城中安穏息災を願って、高野宮社を下之一色城主 前田与十郎種利(前田利家公の祖父の兄)が祈願所として米四十俵を毎年奉納した記録がある」

 これらの記述にはいくつか問題点がある。
 まずおかしいのが1485年という年数だ。
 通説では下之一色城を建てたのは前田種利で、それは天正年間(1573年-1592年)とされている。1485年といえば、天正年間より100年も前だ。
 それに、前田種利は前田利家の祖父の兄などではない。そもそも年代が合わない。
 前田利家の生まれは1536年で、幅を持たせたとしても祖父との年齢差は50歳程度、その兄としても60歳差。10歳くらいで城主になる例もあるとはいえ、その年で神社を祈願所とはしないだろう。
 尾張前田家の出身地は尾張国海東郡前田村または美濃安八郡前田村とされ、荒子を本拠とした前田利家の家系との関係はよく分かっていない。同族とされることもあるようだけど、種利の息子の長種が前田利家の長女と結婚していることを考えると、血筋的にはそれほど近くないのかもしれない。利家から見た種利は娘の婿の父ということになる。
 尾張前田家の当主は代々与十郎を名乗ったため、単に与十郎というと誰のことを言っているのか分からないというのがある。
 記録に出てくる古い与十郎としては、1485年(文明17年)の前田与十郎利治、下之一色村城主とある。戦国時代に建てられた下之一色城の前に館城のようなものがあったということか。
 由緒書きにある1485年云々というのは、このことと勘違いした可能性が高い。
 利治の子が仲利、仲利の子が種利ということになる。
 前田家の誰が高野宮社を修造したり米を奉納したかは大きな問題ではないのでこれくらいにしておく。記録にあるということは下之一色城主だった前田家の誰かがそれをしたということは確かなのだろう。前田利家というビッグネームを借りようとして話が混乱してしまったようだ。
 ちなみに、下之一色城は高野宮社から見て庄内川を挟んだ南3キロほどの中川区下之一色町字中ノ切にあったとされる。小牧長久手の戦いのとき、織田信雄・徳川家康軍に攻められて廃城となった(最初は織田方についていたのに途中で秀吉方に寝返った)。
 江戸期に入って新川が掘られたことで遺構は何も残っていない。石碑だけが正色小学校の片隅に建っている(地図)。

 前田家どうこうというよりも、問題は『愛知縣神社名鑑』にある「当地は昔郷名を御厨郷と称し『神鳳抄』に一楊(ひとつやなぎ)ノ御厨とあり、伊勢の神宮の御領地」で、「『尾張志』に伊勢外宮の別宮の高ノ宮を縁故により祀りしものなりと、記す」という部分だ。
 かつてこのあたりは一楊荘と呼ばれる荘園だった。北は中村、稲葉地あたりから南は下之一色、荒子までという広大なもので、その一部が伊勢の神宮の領地だった。
 御厨(みくり/みくりや)というのは神社に納めるお供え物(神饌)を調達する場所という意味だ。
 その場所に建てられた神社ということで、伊勢の外宮にゆかりのある高宮社として創建されたということのようだ。
 伊勢の外宮にある別宮「たかのみや」は、現在、多賀宮という表記になっているけど、もともとは高ノ宮だった。
 中村の高野宮社も、本来は高宮だったのを「たかのみや」と称していたから「ノ」に「野」という字を当てるようになったのだろうと『尾張志』では指摘している。
 伊勢の外宮の多賀宮の表記は明治以降のことだ。

 祭神についてはどう理解すればいいのか、ちょっと分からない。
 現在、中村区の高野宮社ではタカミムスビ(高皇産霊神)を祀るとしている。
 しかし、この神社が伊勢の高ノ宮とつながりのある神社であれば、当然、伊勢の外宮と同じ神を祀らなければならない。伊勢の高ノ宮(多賀宮)では豊受大御神(トヨウケオオミカミ)の荒御魂を祀っている。
 どうしてトヨウケオオカミではなくタカミムスビを祀っているのか不思議だと『尾張志』の筆者も書いている。すでに江戸時代中期以降にはそうなっていたということだ。
 にもかかわらず、高野宮神明社と称していたという。いつどこで祭神がタカミムスビになってしまったのか。もともとトヨウケオオカミを祀っていたのであれば、明治政府に遠慮することは何もない。
 1485年に修造の記録があるということは、室町期にはすでにあったということだ。
『尾張志』では「近村に勝れたる神社なり」と書いている。
 前田家が祭神を取り替えたとは考えられないのだけど、このあたりのいきさつについては分からないとするしかない。

 歴史的な部分はそれはそれとして、個人的な感想をいうと、この神社は好きだ。とても雰囲気がある。
 両側には民家が建っていて、囲いも中途半端で吹き抜け感が強く、境内の環境としては決していいとはいえないのだけど、それでもこの神社が持つ独特な空気感は普通のものではないと感じた。
 歴史の奥深さが醸し出すものなのか、神階の高さがそう感じさせるのか。
 いろいろな神社に行っている人に、どこかいい神社ない? と訊かれたら、この神社の名前も挙げたい。まだ行ってないなら、一度行っておいた方がいいよと言うだろう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

高野宮社は正しく気が整っている神社

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