熊野社(大永寺)

山田重忠から岡田一族にバトンタッチ

大永寺熊野社

読み方 くまの-しゃ(だいえいじ)
所在地 名古屋市守山区大永寺町257 地図
創建年 1617年(江戸時代前期)
旧社格等 村社・十四等級
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
大山津見命(おおやまつみのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
 アクセス ゆとりーとライン「川宮」から徒歩約7分
駐車場 なし(神社前スペースあり)
webサイト  
オススメ度

 江戸時代前期の1617年に大永寺村に建てられたとされる熊野社。
 山田重忠が1190年に小幡に建てた天台宗の寿昌院が兵火で焼けて、1521年に山田重忠の子孫である岡田重頼が再興して大永寺とあらためた。それも戦国時代に戦で焼けてしまったため、1617年に岡田善同が名古屋城築城のときに余った木材で現在地に再建したという。そのとき熊野社も創建したとされる。
 話の流れとしてはそうなのだろうけど、もう少し詳しい説明が必要だと思う。

 山田重忠は山田荘(北区一帯)を領していた源氏の武士で、平安時代末から鎌倉時代前期にかけて活躍した。屋敷が現在の山田天満宮地図)のあたりにあったとされる。
 そのあたりのことは以前ブログに書いた。
 大永寺と山田重忠に関する混乱気味の考察
 山田重忠について私が書けることのすべて
 山田重忠は北区から東区、守山区あたりを本拠地としていたようで、いくつかの寺と神社を建てたり再興したと伝わっている。しかし、少し調べてみると年代の矛盾が多く、それらすべてを山田重忠が行ったわけではなさそうだ。
 ただ、1190年に小幡に寿昌院を建てたというのは年代的に無理はない。鎌倉時代の実質的な始まりは、源頼朝が守護・地頭を置く権利を獲得した1185年とするのが最近の定説となってきており、山田重忠は尾張国山田荘の地頭に任じられている。1221年の承久の乱で命を落とすまでの間、この地で過ごしていたと考えられる。
 1521年に山田重忠の子孫である岡田重頼が再興して大永寺とあらためたという点に関しては、そのまま信じていいのかどうかちょっと分からない。
 
岡田重頼は星崎城主(南区星﨑)をつとめた岡田重善の父という以外に何をしたのか伝わっていない。
 同じ一族と思われる岡田重篤が小幡城を築城するのは翌1522年のこととされている。岡田重篤と岡田重頼の関係は分からない。
 寿昌院を再興するにあたって柏悦道根を開山として曹洞宗に宗旨替えしている。
 岡田善同は岡田重善の息子に当たる。最初、信長に仕え、後に徳川家康に仕えて関ヶ原の戦いでは加藤清正軍にって武功を挙げ、その後、美濃国で旗本になった。名古屋城築城の普請奉行を務めている。
 名古屋城築城のときに余った材料をもらって大永寺を再建したというのは、こういった功績を認められてのことだ。小幡にあって戦火で焼けてしまったものを現在の場所に移して再興して、熊野社も一緒に建てたということのようだ。それが1617年ということになる。
 どうして熊野社だったのかは分からない。 岡田善同が熊野信仰の人だったのかもしれない。
 大永寺村の村名がついたのは当然ながら大永寺がここに再興されてからのことで、それまでは宮司村と呼ばれていたらしい。近くにある式内社とされる川島神社地図)の宮司でも住んでいただろうか。

 江戸期の書の大永寺村の項を見るとそれぞれこうなっている。

『寛文村々覚書』(1670年頃)
「大永寺 丹波国本目村調光寺末寺 但、岡田豊前守祖先之菩提所
 薬師堂一宇 地内六歩 永符之内 当村堂守 円斎
 社弐ヶ所 内 熊野権現 本宮 右同人持分 社内弐畝拾九歩 前々除」

『尾張徇行記』(1822年)
「熊野権現社本宮界内二畝十九歩前々除 村書上ニ、熊野社内二十四歩本宮森地内一畝廿五歩共ニ前々除、此外山神社内十五歩薬師堂界内十八共ニ前々除
 天神社内三畝御除地、大永寺界内ニアリ」

『尾張志』(1844年)
「熊野社 神明社 八幡社 以上三社同所 那智社 四社ともに大永寺村にあり」

 本宮というのがどういう神社だったのかちょっと分からない。熊野本宮ではないのか。
 後に神明社、八幡社、那智社、山神社も増えたようだ。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は元和三丁巳年(1617)と伝える明治5年村社に列格する。明治43年9月23日許可をうけ、字西島1489番地鎮座無格社山神社、又字東島285番地鎮座無格社本宮社、字寺前798番地鎮座の無格社天神社の三社を明治43年10月14日本社に合祀した」

 明治43年に村内にあった山神社、本宮社、天神社を本社に合祀したということだ。
 それぞれの祭神を当てはめると、イザナミ(伊邪那美命)が余るから、本宮社が那智社と呼ばれるようになり、そこではイザナミが祀られていたと考えてよさそうだ。となると本宮も熊野の神を祀る社だったということだろう。明治以前の祭神がどうだったのかはなんとも言えないのだけど。
 現在の境内社は、少彦名を祀る三輪社、御嶽社、津島社などがあり、境内の内側なのか外側なのか判断できないところに天王社がある。

 大永寺も熊野社もずいぶん小さくなってしまったけど、今もこうして続いている。歴史を絶やさずつなぐということでいえば、まずはこれでよしとすべきだろうか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

守山区の社宮司神社と熊野社

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