氷上姉子神社(地図)の110メートルほど北西にぽつりとある小さな社。氷上姉子神社からはいったん外に出て行かないといけないのだけど、ここも境内地ということで境内摂社という扱いになっている。氷上姉子神社は元宮がある火上山全体が境内地だ。 少彦名(スクナヒコナ)を祀るというのだけど、いつ誰が建てたのかは分からない。 神社がある場所の周辺は(字)常世島(とこよじま)という地名がつけられている。日本神話の中でスクナヒコナは常世国に去っていったとされる。玉根社が先だったのか、常世島が先だったのか。
『尾張名所図会』(1844年)の「氷上神社」の項にはこう書かれている。 「摂社 八剱社 源太夫社 紀太夫社 広田社 稲荷社 山神社 白山社 白鳥社 以上九社 今は廃して社地のみ在せり 元宮 上古氷上鎮座の地をいう 常世社(とこよの) 宮箕媛命の荒魂(あらたま)にして則墓地なり故に陵(みささぎ)と通稱す 朝苧社 火高大老婆の霊を祭る。大老婆は火高の里の地主なりとぞ 姓社 火明命(ほあかりの)と天香語山命(かごやまの)と二座を配(あわ)せ祭れり 二神ともに尾張姓の神なれば大姓社とも稱す 濱社 鹽土翁を祭る 雨請社(あまごいの) 星社 左右二社あり 祠官 久米氏」
八剱社、源太夫社、紀太夫社は熱田の神で、白鳥社はヤマトタケルだろう。広田社、稲荷社、山神社、白山社などは江戸時代後期にはすでになくなっていたということのようだ。 ただ、描かれた絵を見ると少し違っている。 南鳥居を進むと拝殿が少し離れた場所にあり、祭文殿と本殿を渡殿でつなぎ、周囲を透垣で囲う典型的な尾張造だったことが分かる。基本的な配置は今も変わっていないものの、現在は拝殿は現存しない。 元宮と神明社は今と同じ位置に描かれていて変わっていない。その北西の奥に白鳥山、白鳥祠とある。元宮の南には大氏祠、更に南に物部祠、その西には白山祠があったようだ。 鳥居南には氷上の池とあり、これが現在の平野池だ。 本殿西の御手洗は規模を縮小して現存している。北側は埋め立てられて斎田となった。 本殿の北、今の玉根社がある場所に霊根社が描かれている。「タマネ」は「霊根」だったことが分かる。魂の根っこというのはいかにもな名前だ。 本文に説明のある常世社は絵には描かれていない。「宮箕媛命の荒魂(あらたま)にして則墓地なり故に陵(みささぎ)と通稱す」というのは霊根社(玉根社)につながるようにも思える。
常世国とは何かという問いに対する答えはひとつではない。あの世であり、永遠の世界であり、黄泉の国であり、死後の世界でもある。常夜とも書いたことから夜の世界ともいい、別名を隠世/幽世(かくりよ)ともいう。現世(うつしよ)に対するもう一方の世界だ。 『古事記』、『日本書紀』では大国主(オオクニヌシ)の国造りを手伝うために海の彼方からやって来た少彦名(スクナヒコナ)は、国造りの途中で常世国に去ってしまったと書く。 垂仁天皇は田道間守(たじまもり)に非時香菓(トキジクノカクノコノミ)を常世国に行って見つけてくるようにと命じ、ようやく見つけた非時香菓を持って戻ったときには垂仁天皇はすでに亡くなっていたと『日本書紀』はいう。 浦島太郎が行った竜宮城も常世国だったといい、戻ってきたときには地上(現世)は長い時間が流れていた。 これらの話に共通するイメージとして、海の彼方であることと、時間が止まっているもしくは時間の流れが遅い別の世界というものだ。 御毛沼命(三毛入野命)は、神武天皇の兄に当たり、神武天皇の東征に従い、熊野で暴風にあって海が荒れて進めなくなったとき、「波頭を踏んで常世の国に渡った」という。 ヤマトタケル東征にも似た話がある。相模から上総に渡るときに海が荒れたため妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海神の怒りを鎮めるために海に身を投じたというものだ。 そこから連想されるのは、スクナヒコナもまた、オオクニヌシの国造りに支障が出たために自分の身を犠牲にしたということだ。 常世国というのは、犠牲者を称え慰めるために生き残った者が考え出した美化された理想の世界といったものなのかもしれない。
古代において氷上姉子神社が建つ火上山のすぐ北は海だった。大高の西隣の東海市名和(なわ)は、ヤマトタケルが上陸したとき松の木に舟を縄でくくりつけたことから来ているという話があり、後に船津とも呼ばれることになる。 ミヤズヒメから見たとき、ヤマトタケルは海からやって来た人だったということだ。その意味は小さくないように思う。 ヤマトタケルが置いていった草薙剣を祀る社を熱田に建てたとき、その地もまた海に突き出した岬の突端だった。 尾張氏も海を渡ってこの地にやってきた海人族だったともいう。
神社周辺には沓脱島跡や寝覚めの里といった旧蹟があり、古代からの歴史を伝えている。県道59号線が走っているあたりに、かつては濱社と一の鳥居が建っていた。 大高斎田は現在熱田神宮の斎田となっており、6月には御田植祭が、9月には抜穂祭が行われている。収穫した稲は熱田神宮や関係神社の祭祀で使われる。
玉根社の下には今もミヤズヒメが眠っているのかもしれない。 それは想像しすぎとしても、元宮、氷上姉子神社本社、玉根社は、それぞれ関係が深いに違いない。 少し離れたところにある境外社の朝苧社(地図)とあわせて回ることをおすすめしたい。
作成日 2018.4.24(最終更新日 2019.4.3)
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