八幡社(大宝)

平野から大宝にお引っ越し

大宝八幡社

読み方 はちまん-しゃ(たいほう)
所在地 名古屋市熱田区大宝1丁目8-13 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神 應神天皇(おうじんてんのう)
アクセス

・地下鉄名港線「日比野駅」から徒歩約6分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 地下鉄日比野駅の東南にある八幡社。
 もともとは平野村にあった。ささしまライブ駅の南、南平野町だったところだ。

『寛文村々覚書』の平野村の項にはこうある(『尾張徇行記』もほぼ同じ内容)。
「八幡壱社 備前検除
 熱田 大原織大夫引得」

 尾張の備前検地が行われたのが江戸時代初期の1608年で、そのとき除地(よけち/じょち/税などを免除された土地)になったとあるから、創建は戦国時代あたりだっただろうか。
 備前検地が行われたときにすでに除地になっていたところは「前々除」と記載される。
『尾張志』には、「八幡ノ社 平野村にあり」とある。
 大原織大夫というのが何者かは分からないのだけど、『尾張徇行記』に「熱田祠官」とあるから、熱田社が管理していたということだろう。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではない。古くより南平野町の氏神として鎮座、明治5年、村社に列格する。昭和7年1月14日、省線関西線敷地の拡張と貨物名古屋駅新設のため止むなく現在地の社地に遷座する。時に昭和7年9月16日なり」

 昭和7年(1932年)に、国鉄関西線の敷地を拡張するとともに貨物用の名古屋駅(笹島駅)を新設することになったため、旧地から現在地に移されたということだ。
 神社があった正確な位置はよく分からないのだけど、関西線の線路と名古屋高速道路の間あたりだったらしい。
南平野町という町名が道路や鉄道用地として残っているようだ。

 平野の歴史をざっと辿ってみるとこんな感じだ。
 江戸時代前期の1655-1658年の調査をもとにまとめられた『寛文村々覚書』には22戸120人となっている。平野村自体面積の小さな村で、江戸時代を通じてあまり戸数は増えなかったようだ。
 明治22年に笈瀬村(おいせむら)と合併し、大字平野となる。
 明治28年に私鉄の関西鉄道が、平野に愛知駅を建てた。名古屋側のターミナル駅で、モダンで立派な駅だったようだ(wiki)。
 関西鉄道は明治40年に国有となり、関西線が名古屋駅に乗り入れることとなり、愛知駅は明治42年に廃止となった。
 昭和5年に中川運河が完成すると、貨物輸送の需要が増え、名古屋駅だけでは間に合わなくなったため、貨物専用の笹島駅が造られることになった。
 設備が完成したのが昭和5年、正式な開業は昭和12年だった。
 平野の八幡社が移された昭和7年というのは、このときの工事に伴うものだったのだろう。
 それから月日が流れ、笹島周辺も大きく様変わりした。
 笹島駅は昭和61年に廃止となり、跡地はささしまライブとして再開発が現在進行中で行われているところだ。
 2014年に中京テレビの本社が移ってきたり、愛知大学の名古屋キャンパスが新設されたりしている。
 2027年のリニア名古屋駅開業に向けて、このあたりもまだまだ変わっていくことになりそうだ。

 都市の大開発の前では、小さな神社ひとつなど吹けば飛ぶような存在かもしれないけど、数百年生き残った歴史というのは考える以上に重い。
 場所は移されても、平野村だった時代の記憶を神社はとどめている。
 人々の願いの形は変わっているようで本質的には昔も今も変わらないのかもしれない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

大宝八幡社はこの地にもう馴染んだだろうか

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