八幡社(四女子町)

四女子八幡社では龍蛇神を忘れずに

四女子八幡社

読み方 はちまん-しゃ(しにょし-ちょう)
所在地 名古屋市中川区四女子町4丁目47 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十五等級
祭神 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
アクセス あおなみ線「荒子駅」から徒歩約21分
駐車場 なし
その他 例祭 10月5日
オススメ度

 四女子の地名は古くからあったようで、江戸時代にはすでにその由来が分からなくなっていたらしい。「しにょし」と読む。
 ある豪族が七人の娘をそれぞれ別の村に嫁がせて一女子村から七女子村まで名付けたという村名由来が語られている。そんな話でも思いつかなければ、この変わった村名の説明がつかなかったということだろう。
 現在は二女子、四女子、五女子が町名として残っている。江戸時代は七女子村もあって、それ以外はわずかに痕跡があるくらいだったという。

 この八幡社が四女子村の氏神だったのは間違いなさそうだ。
『寛文村々覚書』(1670年)には「八幡壱社 社内年貢地 熱田 与大夫持分」とある。
『尾張徇行記』は「八幡社界内年貢地 此社府志ニモ載レリ」、「熱田社家松岡斎宮太夫書上張ニ、八幡社内三畝御除地」とする。
『尾張志』(1844年)にも「八幡ノ社 四女子村にあり」と書かれている。
 江戸時代前期の時点で年貢地となっているということは、1608年の備前検地では除地にならなかったということなので、創建は江戸時代に入ってからかもしれない。その後、除地になったのだろう。
 江戸時代後期には四女子村の村名由来が分からなくなっているくらいなので集落としては古い可能性はある。四女子の集落の成立が創建時期に当たると考えていいだろうか。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。『尾張志』に”八幡ノ社四女子村にあり”と明治5年7月、村社に列格する。四女子町字居屋敷東145番地境内地六畝二歩は中川運河敷地となり止むなく上坊西の今の社地に遷座した」
 今昔マップ(1888-1898年)を見ると旧地のおおよその場所が分かる。現住所でいうと富船町2丁目で、今は小木曽工場横の運河通(地図)がかつての場所だ。
 自然河川だった中川(笈瀬川)を運河にする工事が行われたのが大正15年(1926年)から昭和5年(1930年)にかけてで、神社はそれに伴って現在地に移されたということだ。
 社殿が東向きに建てられているのはこのとき以降のことだろうと思う。
 十二支の動物が彫られた拝殿は昭和5年に建てられたものか、戦後に建て直されたものか。
 拝殿と渡殿の間に銀色のサッシの扉が付いていて、ちょっと雰囲気を壊している。
 ちなみに、神社の少し南にある松葉公園(地図)は皇太子(現在の上皇)誕生(昭和8年)を記念して造られたもので昭和16年に開園している。

 境内社に出雲龍蛇神を祀る社がある。
 出雲大社(web)というと一般的には大国主命(オオクニヌシ)による縁結びというイメージが強いけど、それと同時に龍蛇神信仰というものがある。
 旧暦十月は出雲では神有月というというのはわりと知られている。しかし、その神有月に出雲大社で行われている神在祭(かみありさい)についてはあまり知られていないと思う。
 神を迎える神迎祭(かみむかえさい)に始まり、神在祭を行い、神等去出祭(からさでさい)で神を送り出す。
 その神在祭の主役ともいうべきなのが龍蛇神だ。
 この時期、出雲の海は荒れて、浜にウミヘビが打ち上げられることがある。背中は黒くて腹は黄色で、セグロウミヘビと呼ばれている。
 そのウミヘビが全国からやってくる神々を先導すると信じられていて、ウミヘビは神の使いとして出雲大社などの神社に奉納される。
 出雲大社において龍蛇信仰がいつ頃興ったものかはよく分からないそうだけど、室町時代の終わりにはすでに行われていたようだ。
 その神事を見るためには出雲大社教の龍蛇神講(web)というものに入らなければいけないらしく、一般は見ることが叶わない。
 この龍蛇神信仰は西日本では盛んなようで、名古屋では珍しい。龍蛇神を祀る社は他では見たことがない。
 いつどういうきっかけで四女子で龍蛇神を祀ることになったのかが境内の由緒書きに書かれている。
 龍蛇神を迎えたのは明治40年のことだった。なんでもこの時期、四女子村はケンカが絶えず騒然としていたらしく、村総代の岡田与平は騒動を静めるために東奔西走し、それを見かねた岡田惣七という人が出雲に出向いて参籠して龍蛇神を拝受し、四女子で祀ったところ騒動は収まったのだとか。
 昭和20年の空襲で八幡社ともども焼けてしまい、八幡社は昭和35年に復興したものの、龍蛇神社まで手が回らず放置したまま月日が流れ、昭和62年になってようやく復活させようという話になり、氏子総代の岡田昌之が出雲大社名古屋別院にお願いしたところ、なかなか承諾が得られず、翌昭和63年に出雲に出向いて出雲大社の千家国造家に「再三再四懇願して」、ようやく平成元年に認可が下りて再びお祀りできることになったという。
 この話を聞くと、龍蛇神というのは出雲大社でも重要な存在で、どこでもここでも簡単に祀れるというわけではないのだろう。
 神社の境内社にもドラマありと再認識するエピソードだ。

 四女子八幡社を訪れた際は、忘れずに龍蛇神も参拝していってほしいと思う。出雲大社式で、ここでは二拝四拍手一拝が作法となっている。

 

作成日 2017.7.17(最終更新日 2019.6.19)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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