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神明社(高畑)


奈良、平安までさかのぼる可能性



高畑神明社

読み方しんめい-しゃ(たかばた)
所在地名古屋市中川区高畑1丁目41 地図
創建年不明
旧社格・等級等村社・十二等級
祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス地下鉄東山線「高畑駅」から徒歩約4分
駐車場 なし
その他例祭 10月7日
オススメ度

 高畑は「たかばた」と濁って読む。江戸時代ここは高畑村だったところで、その頃は「たかはた-むら」と濁らなかったはずなのだけど、いつから濁るようになったのだろう。
 名古屋市民の多くは高畑というと地下鉄東山線の終点という認識かもしれない(もちろん高畑の人からすれば始点だ)。
 しかし、名前だけは知っているけど行ったことはないという人が多いじゃないだろうか。特に名古屋駅より東側に住んでいる人にとってはそうだろう。高畑行きの地下鉄に毎日のように乗っている人でも、用事もなく高畑まで行くことはまずない。あるとすれば寝過ごしたときくらいだ。
 何故、東山線は中川区にちょろっと入った高畑で止まってしまったのか。採算性のこともあるだろうけど、中川区は南北に大小何本もの川が流れているから、地下の工事が難しいという理由もあったかもしれない。
 それにしても高畑で止まってしまうと、そこから先がどうにもつながらない。ひとつ手前の八田駅でJR関西本線と近鉄八田駅とつながるとはいえ、高畑止まりというのは中途半端に思える。荒子観音に行く人のためと言えなくはないけど。



『尾張国地名考』の中で津田正生は高畑村についてこう書いている。
「【天野信景曰】中郷横井荒子高畑はもと一郷なるべし往昔荒子の観音は今の高畑村の北八田村の堺に在し後世其地の高きを畠に開て高畑村と名づく此故に本堂大門の名いまも田圃に残れり礎石も所々にあり」
 荒子観音は高畑村と八田村の堺あたりにあって、それが現在地に移築した後、高い場所を畑にしたから高畑村と名付けたということだ。
 この移転は江戸時代中期の1727年といわれている。



『愛知縣神社名鑑』は高畑の神明社についてこう書いている。
「創建は享保四巳亥年(1719)8月3日、という熱田新田開墾達成の年で各所に入植進み、氏神之創設も活発であった。明治5年7月、村社に列格した」
 しかしこれは他の神明社と間違えている。熱田新田は熱田沖を干拓によって陸地化して尾張藩主導で1649年(慶安2年)に開発したもので、高畑よりずっと南だ。高畑の歴史は古く、少なくとも平安時代までさかのぼる。
 高畑A・B・C・D遺跡が知られており、神明社がある場所は高畑D遺跡に当たる。それぞれの遺跡からは平安時代の山茶碗や土器片、貝殻などが出土している。
 津田正生が書くように荒子観音はもともと高畑にあり、泰澄が奈良時代前期の729年に草創したと伝わる古刹ということからしても高畑の集落はかなり古くからあったと考えられる。
『寛文村々覚書』(1670年頃)には「社壱ヶ所 神明 社内年貢地 中郷村祢宜 孫大夫持分」とある。
『尾張徇行記』(1822年)は「中郷村祠官高羽氏書上張ニ、神明社内九畝二歩御除地、草創ハ知レズ、再建ハ元和六申年也」と書く。
 元和6年は1620年で、その年に再建されたということは創建はそれ以前ということだ。『愛知縣神社名鑑』がいう1719年創建というのはあり得ない。
 境内の由緒書きには「当神明社は由緒は詳らかではありませんが、尾張における伊勢神領御厨一楊庄の中央やや東南に位置し、天平年間創設と伝えられる」とあり、現地で読んだときはそれはないだろうと思ったのだけど、高畑の歴史を考えるとあり得ない話ではない。
 天平年間は729-749年で、聖武天皇の時代だ。荒子観音草創の729年と符合するといえば符合する。もし荒子観音と関係する神社として創建されたとしたら、そのときは神明社ではなかったかもしれない。
 伊勢の神宮領の一楊御厨(いちやなぎのみくりや)が成立したのは延喜年間(901-923年)とされているので、その頃に神明社として祀られたという可能性もあるのか。
『尾張志』(1844年)にも「神明ノ社 高畑むらにあり」とあるので、江戸時代を通じて高畑村の神社はここ一社だったようだ。



 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社は集落から外れた北にあって、そこは広い空白地になっている。鎮守の森に囲まれた社だっただろうか。
 高畑の集落や道路状況は戦後までほとんど変わっていない。
 第二次大戦の空襲では焼けなかったものの、昭和34年の伊勢湾台風で被害を受けた。
 昭和40年に周辺の区画整理が行われ、町並みは大きく変わった。そのとき、周辺にあった秋葉社、天王社、金刀社が移されている。
 昭和53年に地下鉄が境内を通ることになり、交付金が出たため、社殿を一新したと由緒碑に書かれている。予定していたよりも立派な社殿が建ちましたとあるから、名古屋市からけっこうなお金が下りたようだ。
 伊勢湾台風で多くの木が倒れてしまったとのことだけど、今でも参道の両脇には古い桜の木などが立ち並んでいて、いい雰囲気を保っている。




作成日 2017.10.19(最終更新日 2019.6.27)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

高畑神明社の成り立ちはよく分からないけどきれいな神社だ

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