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龍神社(本宮町)

龍がいる(?)神社

本宮町龍神社

読み方 りゅう-じんじゃ(ほんぐうちょう)
所在地 名古屋市港区本宮町3丁目1 地図
創建年 1799年(江戸時代後期)
旧社格・等級等 指定村社・十一等級
祭神 綿津見尊(わたつみのみこと)
アクセス あおなみ線「名古屋競馬場前」から徒歩約25分
駐車場 なし
その他 例祭 10月10日・天王祭 7月第2日曜日
オススメ度 **

 熱田前新田の中ノ割の氏神。
 熱田前新田のうち、中川から東を東ノ割、中川と荒子川の間を中ノ割、荒子川から西を西ノ割と呼び、それぞれに氏神を祀った。西割の氏神が善進町の神明社で、東割の氏神は辰巳町の稲荷社だった。
 熱田前新田は1800年に第9代尾張藩主・徳川宗睦によって行われた尾張藩の直営事業で、熱田奉行の津金文左衛門胤臣(つがねぶんざえもんたねおみ)が現場担当だった。そのあたりのことは池鯉鮒社(魁町)のページに書いた。

『愛知県神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は寛政十一年(1799)と伝う。境内の石碑に龍神社寛政十二年、側面に熱田前新田元宮と記るす。明治5年7月村社に列格する。明治12年10月21日拝殿を新築、明治19年10月6日本殿修復明治35年4月13日社殿を修復鳥居を改修、本殿裏の石□の境内回り石組みを新設する。大正15年4月23日、供進指定社となる。(中略)昭和34年9月伊勢湾台風に被災したが氏子の熱意により復興した」

 熱田前新田は寛政12年(1800年)から翌年にかけて築造されている。境内の石碑にも寛政十二年とあるのに、どうして神社創建はその前年の寛政十一年としているのだろう。熱田前新田の工事に先立って神社を建てたということだろうか。
『尾張志』(1844年)にはこうある。
「稲荷ノ社二所 神明社 龍神ノ社 熱田前新田にあり」
 稲荷社のもう一社がどこのものを指しているのか把握できていないのだけど、『尾張志』が完成した1844年時点で龍神ノ社としているということは、創建時から龍神社と称していたのは間違いなさそうだ。
 だとすると、祭神は本当に綿津見尊だったのだろうか。

 綿津見(ワタツミ)の「ワタ」は海の古語で、「ツ」は「の」、「ミ」は神霊のことなので、ワタ・ツ・ミ=海の神(霊)ということになる。
 ややこしいのは、ワタツミといってもいろいろなワタツミがいることだ。
 まずイザナギ(伊弉諾尊)とイザナミ(伊弉冉尊)の間に生まれた大綿津見神(オオワタツミ)がいる。
 イザナギがイザナミを追いかけて黄泉の国に行って逃げてきて禊ぎをしたとき生まれたのが底津綿津見神(ソコツワタツミ)、中津綿津見神(ナカツワタツミ)、上津綿津見神(ウワツワタツミ)だった。
 更に底筒男命(ソコツツノオ)、中筒男命(ナカツツノオ)、表筒男命(ウワツツノオ)の住吉三神もこのとき生まれている。
 海幸・山幸の話では、海幸の釣り針をなくした山幸が塩土老翁(シオツチノオジ)の助言で海の底にいる綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、その娘の豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚したとする。
 ワタツミというと海の神ということで、干拓新田の守り神として祀ることは不自然ではないし理にかなっているといえるのだけど、龍神社と称してワタツミの神を祀るだろうかと考えるとやや疑問だ。
 ワタツミを祀る神社としては、福岡県志賀島の志賀海神社(しかうみじんじゃ/web)などがあるけど、名古屋で綿津見を主祭神として祀る神社はこの龍神社だけだと思う。北区の綿神社は玉依比売命(たまよりひめ)を主祭神としている。
 江戸時代に龍神社と称していたのであれば、祭神は龍神だったのだろう。龍神=綿津見とは考えにくいので、明治の神仏分離令を受けて変更したということではないかと思うけどどうだろう。

 創建が1799年だったのか1800年だったのかはともかく(1801年創建という話もある)、熱田前新田で一番最初に建てられたのがこの神社だったのは間違いなさそうだ。本宮町の町名はそこから来ている。
 この神社は「元の宮」と呼ばれており、町名を決めるときに元宮町で申請したところ、すでに昭和区に同名の町名があったため、本宮町(ほんぐうちょう)とした。昭和13年(1938年)のことだ。

 鳥居には明治四十五年十一月とある。
 石灯籠に巻き付く龍が彫られている。これは非常に珍しい。
 拝殿を進んで本社の門前まで行くと明らかに空気が変わる。強い気が発せられているようでピリピリしている。ビリビリとしびれるような感じだ。
 人によって感じ方はそれぞれだと思うけど、個人的には男性っぽい厳格な感じがした。気圧されるくらいの威圧感がある。その正体が龍神なのか別の神なのか他のものなのかは分からない。

 祭礼として天王祭があるというから、天王社を合祀しているようだ。秋葉祭も行われている。
 本宮町発祥の嫁獅子が名古屋市無形民俗文化財に指定されている(昭和48年)。今でも行われているのだろうか。
 隣接する如意寺も龍神社と同じ時期に建てられたもので、聖観音を本尊としている。辻の観音と呼ばれていたというから、かつてはこのあたりに十字路があったのだろう。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)のものを見ると、この頃すでに龍神社は今と変わらない位置にあったことが分かる。堤防と道沿いに民家が建ち並び、その中に鳥居マークが描かれている。
 その道沿いの少し北へ行ったところに浄専寺(地図)がある。津金文左衛門の分骨が収められており、津金文左衛門の肖像画も所蔵するという。

 港区は江戸時代以降にできた新しい土地だから古い由緒のある神社はない。だから回る前は期待していなかったのだけど、実際はそうではなかった。港区にも面白い神社がけっこうある。この龍神社もそのうちの一社だ。オススメしたい。

 

作成日 2018.7.5(最終更新日 2019.7.20)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

男らしい気がビンビンの本宮町龍神社

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