田んぼが広がる開けた場所の一角にぽつんとあって、おっ、カッコイイな、と思った。 そういう光景の神社に心惹かれるのは、どこか懐かしい風景だからだろう。かつては田んぼの中にこんもり繁った森があって、そこで鎮守の神を祀っていた。それを自分の目で見ていなくても、日本人の遺伝子に記憶として刻まれているのではないだろうか。 神社がある福島は、中川区の西南の端っこで、御嶽神社はその中でも一番端にある。すぐ南が港区で、西は蟹江町だ。 どうしてこんな田んぼの真ん中に御嶽神社があるのだろうと思ったら、370メートルほど西に木曽御嶽本教蟹江教会があるから、その関係社かもしれない。 境内には「木曽御嶽本教愛知出生組蟹江教会 初代教正総監 加藤茂雄像」があることからしても、無関係とは思えない。
それにしても、ここはなかなかの御嶽ワンダーランドだ。御嶽大神と刻まれた石碑がある本殿エリアは、御嶽山の山頂にある奥社を彷彿とさせる。 境内は幟やら石碑やら石像やらで溢れている。池上大龍王と染められた幟や石像、石碑群、地蔵堂、お堂、池まである。何故か、忠犬レオの石像も。 池上大龍王というのは聞いたことがないのだけど、境内にある池と関係があるだろうか。 石碑を見ていくと、池上茂之命、池上直美之命といったものがあるから、御嶽教関係者の池上さんを龍王として祀っているということだろうか。 黒体龍王や亀万神などと染められた幟も立ち並ぶ。 その他、覚菊姫霊神、覚美代童女など、女性のものと思われる霊神碑もあり、女性色の濃い神社という印象も受ける。 御嶽山は早くから女性に対して開かれた山ということもあり、御嶽教は女性の行者や信者が多いという特徴がある。
江戸時代のここは何村だっただろう。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、戸田村地とある。戸田村は今の戸田駅と春田駅の間にあったのだけど、ここは戸田村の飛び地といった扱いだっただろうか。 福島の町名は、大字富永の字名南福島、福島裏、外福島に由来する。福島の地名の由来はよく分からない。 昭和57年に、富田町大字戸田・大字富永の各一部より成立した。 今昔マップで初めて鳥居が描かれるのは1992-1996年の地図だ。 この神社がいつここに建てられたかを推測するのは難しい。 今でもそうだけど、田んぼに囲まれていて近くに家は建っていない。 すぐ南には舟入墓地がある。
訪れたときは雨交じりの強い風が吹き付ける寒い日だった。どんよりとした灰色の雲を背景にした御嶽神社はとても格好良かった。 田んぼに水が入った5月の夕焼け時に訪れたらどんな光景なんだろうと想像した。 ここもまた、再訪したい神社のひとつだ。
作成日 2018.1.3(最終更新日 2019.7.15)
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