笠寺町にあった七つの秋葉神社のうちのひとつ。 市場(いちば)、大門(だいもん)、笠迫(かさま)、中切(なかぎり)、新町(しんまち)、西之門(にしのもん)、松本のそれぞれの町内で秋葉権現を祀っていた(中切の秋葉社は現存せず)。 その中でここは市場の秋葉神社ということになる。 市場は七所神社がある天満のすぐ東だ。 明治の神仏分離令のを受けて七所神社の境内に移された。位置としては七所神社本殿の東隣で、入り口は別に東側にある。 鳥居はなく、木の塀で囲まれ、木の扉は閉まっていて中に入ることはできない。
『南区の神社を巡る』は、歴史のある土地だから江戸時代初期に創建されたのではないかと書いている。 明治の神仏分離令でここに移されたということは江戸時代創建には違いないものの、時期としてはなんともいえない。他の笠寺の秋葉神社と同じように街道が整備されて人の往来が増え、街道筋に家屋が建ち並ぶようになった頃に建てられたという可能性は高そうだ。 笠松地区ではどうしてこれほど秋葉権現(カグツチ)が好まれたのかは分からない。この地区で流行ったといえばそうかもしれない。
市場の地名の由来は調べがつかなかったのだけど、文字通りここに市場があったことから来ているのではないかと思う。 北にある笠寺観音(笠覆寺/web/地図)はもともと市場の南の粕畠に建てられ、平安時代に現在地に移されてからは南側に16の宿坊が並んでいた。市場はその南にある。ここに市場があったというのは地理的に見ても合理的だ。 江戸時代は、すぐ東を東海道が通っていた。『尾張徇行記』(1822年)によると、東海道は当初、市場を通っていて、後に今の新町に振り替えたとあるから、東海道筋に市が並んでいたのかもしれない。 そうだとすれば、この秋葉神社の創建は江戸時代初期、もしくは戦国末とも考えられる。 今は七所神社の境内社のようになっているけど、それでもこうして残したおかげで歴史は伝わった。合祀して社が残らないと、こういった歴史も消えてしまいがちだ。
作成日 2018.3.10(最終更新日 2019.8.24)
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